2017年9月30日土曜日

(K0153) 認知症者が彷徨う素敵な街 / 認知症者の居場所(4) <脳の健康>


(K0151)で認知症者数が加速度的に増えると書き、(K0152)で認知症者が街に溢れだすと書いた。「認知症者が入れる施設が足りなくなり、認知症者が街に溢れだす」という書き方をしているので、これは困ったものだ、ということになる。でも、本当に困った状態なのだろうか?
 

高齢者福祉施設『喜楽苑』は、認知症者が外出することを積極的に容認している。

===== 引用はじめ
喜楽苑は、法人理念であるノーマライゼーション=どんなに重い障害があっても「地域の中でひとりの生活者としての暮らしを築く」を使命としてさまざまなとりくみを行ってきました。

認知症の方々に対しても全く同様のとりくみをしています。また、徘徊を「外出」と称して、その方のその時の想いを大切におおらかに見守ってきました。これらのことが実現できたのは「地域に根ざす運営」によって地域の方々のご理解とご協力を得られたからこそだと感謝しています。
===== 引用おわり
http://www.kirakuen.or.jp/jigyo/kiraku/
 

認知症の方も入居している喜楽苑だが、夜になっても鍵をかけない。だから飲みたくなったら、認知症の人も、居酒屋に繰り出す。時には、居酒屋に行かずに徘徊し始める人もいる。でも、困らない。困りそうになったら居酒屋の店員や近隣の人が手を差し伸べ、安全に喜楽苑まで届けてくれる。
 

特定非営利活動法人『花たば』からも、同じような話を聞いたことがある。
http://www.hanatabanpo.sakura.ne.jp/

 

自由に徘徊できることにより、QOLが改善し、認知症の周辺症状の改善が期待できる。

===== 引用はじめ
周辺症状には必ず「中核症状と本人が持ち合わせた性格や環境に起因する理由」があり、その理由を理解し適切な対応をとることで本人が穏やかに生活する事が可能となります。逆に理解されない事で周辺症状がより悪化し介護が困難となるケースもあります。
===== 引用おわり
https://info.ninchisho.net/symptom/s10

 

「認知症者が街を彷徨っている」。この事実だけからでは、その街が「困った街」であるか、「素敵な街」であるかは決まらない。受け入れる環境により決まる。

「認知症者を受け入れる環境が整備されていない街」は、「困った街」である。
「認知症者を受け入れる環境が整備されている街」は、「素敵な街」である。

 

最も生きにくい人が生きやすくなれば、全ての人が生きやすい。

認知症者に声掛けをして助けようとする人たちは、障碍者に対しても、高齢者に対しても、妊婦にたいしても同じ行動をとるだろう。持ちきれない程の荷物をかかえている屈強な若者にも手伝いの手が伸びる。障害をもっている人も、その人のできる範囲で、他の人を助けようとする。
 

認知症の人が安心して安全に暮らせる街は、誰にもとっても暮らしやすい、素敵な街なのだ。

2017年9月29日金曜日

(K0152) 街に溢れだす認知症者 / 認知症者の居場所(3) <脳の健康>


前回、「加速度的に増える認知症者数」について書いた。

今回は、街に認知症者が溢れ出す、ということを書く。


認知症者が街を彷徨う時代が来る。

 

「加速度的に増える認知症者数」に呼応するように、
「高齢者向け住いの定員数」も増加している(添付図参照)。

出典: 「厚生労働省(老健局)の取組について」
平成27年3月19日 厚生労働省 老健局 高齢者支援課
https://www.mlit.go.jp/common/001083368.pdf

 

ここまでは良い。問題はこれからだ。

「高齢者向け住いの定員数」はどこまで伸びて、どこで頭打ちになるのか。

 

高齢化率は、今後も、どんどん高くなっていく。しかし、

高齢者(65歳以上)の絶対数は、2040年ころにピーク(3876万人)に達して、以降は減少に転じ、2060年ころには3464万人(ピーク時の89.4% )まで減少する。

出典: 「高齢化の推移と将来推計」(添付図参照)/2016年度 高齢社会白書
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2016/zenbun/pdf/1s1s_1.pdf

 

もしも、2040年のピークを対象に高齢者施設を建設すると、2060年には、その10%が余剰となる。建設費が無駄になり、毎年余計な維持管理費が発生することになる。

これを避けるために、ピークに合わせるのではなく、例えば、その90%レベルで施設建設を留めることが好ましい。その結果、例えば、ピーク時には、10%の高齢者が溢れ出す。

このようにして、認知症者が街を彷徨う時代が来る。


 
高齢者が増えるのが問題なのではない。
高齢者が減るのが、問題なのだ。


2017年9月28日木曜日

(K0151) 加速度的に増える認知症者数 / 認知症者の居場所(2) <脳の健康>


65歳以上の高齢者の認知症患者数は、今後、加速度的に増える。
 

根拠は、

   高齢になるほど、認知症患者の有病率が高くなる

   認知症者=高齢者数×認知症有病率

  「わが町」では、今後、高齢者数が、ますます増える
  「わが町」では、今後、高齢者の高齢化が進み(高齢者の平均年齢が高くなり)、
 認知症有病率が高くなる

   つまり③と④の両方の影響が重なり、認知症患者数は、加速度的に増えていく

(注)「わが町」とは、私(=藤波)が今住んでいる場所である。「わが町」の認知症患者数は、全国平均よりさらに加速的に増えそうである(正確な数字は抑えていないが、傾向としては間違いないと思う)。

 

以下は、基本情報。

===== 引用はじめ

平成372025)年には65歳以上の認知症患者数が約700万人に増加

65歳以上の高齢者の認知症患者数と有病率の将来推計についてみると、平成242012)年は認知症患者数が462万人と、65歳以上の高齢者の7人に1人(有病率15.0%)であったが、372025)年には約700万人、5人に1人になると見込まれている(図1212)。

===== 引用おわり
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2016/html/gaiyou/s1_2_3.html


(注)有病率が増加するのは、「高齢者の高齢化」が主な原因だろう。

 

これは、全国の総合計である。しかし、地域差は当然ながら、非常に大きい。だから、「わが町」がどうなるかは、「わが町」の認知者数を推計しないと、わからない(だから、対策も打てない)。推計方法が分かり、基本データが手に入れば、この問題を打破できる。


推計方法:
年齢層ごとに次の計算をして、
(各年齢層の人口)×(各年齢層の認知症別有病率)
それらを総合計すると、認知症患者数を計算できる。


どのように将来推計するかというと、

(1) 「わが町」の現在の(各年齢層の人口)がわかれば、死亡率qxを使って、将来の(各年齢層の人口)を推計できる。転入・転出の予想を加味できれば、より正確になる

死亡率qxについては、以下を参照。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life15/dl/life15-08.pdf


(2) 現在分かっている(各年齢層の認知症別有病率)が今後も同じであると仮定するなら、福岡県久山町研究のデータを使って将来推計できる。なお、認知症有病率が、糖尿病有病率の増加により上昇すると仮定すれば、認知症者数は、さらに増える

http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2016/html/gaiyou/s1_2_3.html (採録)

(K0150) 「これでよいのか、認知症カフェ」 / 認知症者の居場所(1) <脳の健康>


「これでよいのか、認知症カフェ」というタイトルで書きだした。

「認知症カフェ」施策が正しいかどうかを問おうとしているのではない。

今の「認知症カフェ」設置の方向を中心に進めていくのがよいのか、
もしかしたら、別のアプローチもあるのではないか、
という視点で考えていく。
 

以下は、基本情報。

兵庫県のホームページより
===== 引用はじめ

認知症施策の総合的な推進について

認知症施策の推進については、国において、平成25年度から、「認知症施策推進5カ年計画」(オレンジプラン)がスタートしており、平成271月には、「認知症施策推進総合戦略」(新オレンジプラン)が策定されました。

兵庫県においても、「認知症施策推進総合戦略」(新オレンジプラン)を踏まえ、「認知症予防・早期発見の推進」「認知症医療の充実」「認知症地域連携の強化」「認知症ケア人材の育成(認知症支援人材含む)」「若年性認知症施策の推進」の5本柱により、認知症の人やその家族の視点に立った総合的な取組を推進しています。

===== 引用おわり
https://web.pref.hyogo.lg.jp/kf05/nintisyou.html
 

 
5本柱の中の「認知症地域連携の強化」の中に、「認知症カフェ(若年性認知症含む認知症の当事者及び家族の会)」が位置付けられている。


===== 引用はじめ

認知症カフェとは

認知症カフェは、認知症の人やその家族、医療や介護の専門職、地域の人など、誰もが気軽に参加できる「集いの場」です。

活動の内容は様々ですが、認知症の人やその家族同士が情報交換するだけでなく、医療や介護の専門職に相談ができ、地域の人との交流の場になっています。

認知症カフェは、公的な制度に基づくものではありません。市町や地域総合支援センター(地域包括支援センター)、社会福祉協議会、医療機関や介護事業所、NPO法人、当事者団体、さらには喫茶店など、様々な主体により取組が広がっています。

===== 引用おわり
https://web.pref.hyogo.lg.jp/kf05/nintisyocafe.html

2017年9月27日水曜日

(K0149) 「定年女子の生き方」と両隣 / 定年女子 <定年後>


「定年女子の生き方」には、両隣がある(添付図参照)。
 

左隣には、「概55歳以上で就職経験なし女子の生き方」がある。「定年」は就業を前提とする。「就業」していない「概ね60歳以上で就職経験なし」の「女子」の生き方である。

右隣には、「定年男子の生き方」がある。「女子」ではなく「男子」の定年後の生き方である。
 

各々、隣り合っている二つには、重なる部分と重ならない部分とがある。
 

次の手順で、検討を進める。

(1) 「概ね60歳以上で就職経験なし女子」が「概ね60歳以上で就職経験なし女子の生き方」(A‘+AB)を描く

(2) 現役女子がそれを見ると、「私たちも同じ」と思う部分(AB)と、「私たちは違う」と思う部分(A’)と、二つに分かれて見える

(3) 現役女子が「定年女子の生き方」を描く。「私たちも同じ」と思う部分(AB)については、そのまま取り込む。「私たちは違う」と思う部分(A’)については、「違うならでは私たちの場合はどうなるか」と考えると、それが(B‘+BC)になる。(AB)と(B‘+BC)が合体すると、「定年女子の生き方」の全容が見えてくる

(4) 定年男子がそれを見ると、「私たちも同じ」と思う部分(BC)と、「私たちは違う」と思う部分(C’)と、二つに分かれて見える

(5) (B‘)と(C’)をよく比較すると、自分たちの特徴がより鮮明に見えてくる。

(6) (C‘)に(B‘)を取り込むと、新しい生き方が広がる。男性が女性化すると生きやすくなる

2017年9月26日火曜日

(K0148) 催し物情報(10) <催し物紹介>


不定期になっています。
 

前回の配信は、

(K0133) 催し物情報(9) <催し物紹介>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k01339.html

 


私の終活について 考えてみませんか、講師:村松静子

930()14:00~、会場:兵庫県看護協会

参加費:0円、主催:兵庫県看護協会、他

チラシ等URL
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2017/08/img/20170829136501zaitakuiryou.pdf

 


不安とうつの向き合い方-森田療法の視点、講師:樋之口潤一郎、他

1014()13:30~、会場:大阪産業創造館

参加費:0円、主催:メンタルヘルス岡本記念財団


 


多様な助け合いの力が社会を変える、講師:浅田克己、高橋均

1125()13:30~、会場:兵庫県農業会館

参加費:0円、主催:兵庫県生活協同組合連合会、他


 


住み慣れた地域で、生涯自分らしく暮らすために、講師:前田潔、他

1125()14:00~、会場:神戸市医師会館本館

参加費:0円、主催:神戸市地域医療推進協議会


2017年9月24日日曜日

(K0147) 「定年が見えてきた女性たちへ」 / 定年女子 <定年後>


===== 引用はじめ

余裕? 貧乏?
いったいどんな老後になるの?

男女雇用機会均等法世代の女性たちは、4050代。
定年をどのように迎えたらいいのだろうか。
元日経ウーマン編集長による働く女性たちの新・常識!

===== 引用おわり

 

章立ては、以下の通り

=====

はじめに

プロローグ  定年を迎えた女性はどのぐらいいるの?

第1章   定年が視野に入ってくるとき

第2章   妹たちへのメッセージ

第3章   老後のお金、いくらあれば安心ですか?

第4章   いまだから思う、男と女、家族のこと

第5章   会社を辞めて寂しくないですか?

第6章   60歳過ぎてもできる仕事、だからこそできる仕事

エピローグ  変わる定年、60歳からの景色はどう変わる?

おわりに

=====
 

「エピローグ」で、筆者は、<< 「均等世代」の女性たち、60歳の未来予想図 >>を描いた。


2024年春、大学同期の仲良し4人組が還暦を迎えて、久しぶりに「女子会」を開いた。

男女雇用機会均等法が施行された1985年に4年大学を卒業して22歳で就職した女性たちは、2024年には、61歳になっている。
 

「女子会」には、ナツコ、ハルコ、アケミ、フユミの4人が参加した。

(1) 総合職一期生として入社したナツコは、社長まで上り詰めた。役員を退いた後は、かねてからプライベートで理事を務めているNPOの活動に力を入れたい

(2) 総合職として入社して働いてきたが、55歳役職定年で給料も減ったハルコは、60歳定年を機にすっぽり会社を辞めることにした。海外経験をもとに現地進出のコーディネーターとして後輩から頼りにされていた。数年前から独立準備を進めてきたのだが、海外ビジネスのコンサルタントとして独立する

(3) 係長で昇進が頭打ちになり、50歳で(「昇進コース」ではなく)「専門コース」を選択したアケミは、「社内公募制度」を利用して系列会社の介護施設に異動した。65歳までは勤めて、この経験を生かしてほかの施設に再就職して元気なうちは働き続けたい

(4) 派遣社員の身分でSE(システムエンジニア)として「非正規雇用」で働いてきたフユミは、35歳あたりから仕事が途切れがちになった。2011年の東日本大震災のとき、被災地ボランティアとして現地におもむくうちに、現地の駐在スタッフにならないかと誘われ、移住することにした。NPO法人の活動は、ITを核にした雇用創出や生活支援など。体が続く限り、70歳くらいまでNPO法人の仕事を続けたい

 
四つの事例は、共通点が多い。

  定年後も働き続けている(NPO活動も含む)
  現役で働いていたときの経験や技術(公私とも含む)を生かしている
  定年後に満足している。
  働くことを止めてからのことは、何も書いていない。


相違点は、現役時代のポジションである。


要するに、現役時代のポジションがどうであれ、(公私を含む)経験や技術を活かせば、別の言い方をすれば準備ができていたら、定年後も充実した仕事(NPO活動を含む)ができるので、その「定年後の仕事(NPO活動を含む)が終わった後のこと」については、考えない


私にとっては、物足りない内容だ。


出典
野村浩子、『定年が見えてきた女性たちへ 自由に生きる「リ・スタート力」のヒント、WAVE出版社(2014)

2017年9月23日土曜日

(K0146) 文庫本「定年女子」 / 定年女子 <定年後>


テレビドラマ「定年女子」については、(K0107)で述べた。このドラマの「原案」は『定年女子  これからの仕事、生活、やりたいこと』(岸本 裕紀子。集英社文庫)~単行本「定年女子」~とされているが、テレビドラマ「定年女子」は、単行本「定年女子」をヒントにして書いたものであり、そのストーリーが単行本「定年女子」に書かれているわけではない。
 

文庫本「定年女子」の章立ては、以下の通り(番号は、私がふった)
=====
はじめに


 60代にも、働くチャンスは必ずある

1-1 定年後も働き続ける女性たち
1-2 自分で新たな仕事を探す方法
1-3 会社員人生の後半に直面する二つの流れ
1-4 女性の定年は、男性の定年とどう違うのか

 
重要ポイント
1.    おカネはいくら必要か
2.    健康と体力維持の話


 仕事をしない生活を楽しむ知恵

2-1 やりたいことを自由にやる女性たち
2-2 「健康的」「人間らしく」がリタイア後のキーワード
2-3 新しい生活に向けて押さえておくべきこと
2-4 社会現象としてのリタイア女性たち


おわりに
文庫版あとがき
=====


大枠としては、次のように組み立てている。

定年を迎えた女性の生き方として、大きく分けて二つある。
  リタイア後に、さらに仕事をする
  やりたいことを優先し、仕事ではない時間をメインで過ごす

いずれにせよ、共通して考えねばならないことが二つある
  必要なおカネ
  健康と体力維持

 

定年後の生き方として、実は三つある

(1)  リタイア後に、さらに仕事をする
(2)  やりたいことを優先し、仕事ではない時間をメインで過ごす
(3)  仕事はやめて、かつ、やりたいことがない(見つからない)


著者は、「はじめに」で次のように書いている
===== 引用はじめ
 定年とは、組織の一員から「個」の自分に戻ることである。アイデンティティの変化に悩むこともあるだろう。仕事人間だった人ほど、戸惑うのかもしれない。

 しかし、取材をしながら、「女の人は大丈夫だな」と感じるようになった。気持ちを切り替えて、新しいステージに立つことができ、と
===== 引用おわり

言葉の裏で、「男の人は大丈夫でない」と言っている。


男女で違いがあるようだ。
  定年男子では、(3)に陥る人が多い
  定年女子では、(3)に陥る人が少ない

このあたりについては、「1-4 女性の定年は、男性の定年とどう違うのか」で考察している。
 

定年後の人生の選択として、(1)(2)どちらでもいい。ただ、(3)は辛かろう。多数の男子と少数の女子が、ここに陥る。これをいかに防ぐかは大きな課題だ。しかし「(3)を防ぐ」という発想ではなく、「(1)または(2)を成功させる」ことが出来れば、自ずと「(3)を防ぐ」ことができるという発想がよいだろう。
 

ところで、「(1)リタイア後に、さらに仕事をする」理由が三つあるという。
  経済的な理由
  仕事が好き
  とりあえず、やることが見つからない

いずれにせよ、いつかは仕事を終わる時期が来て、(1)の選択肢がなくなり、有効な選択肢は(2)しか残らなくなる。
 


女子であれ、男子であれ、リタイア後にも職につく人もつかない人も、即ちすべての人にとって、「(2) やりたいことを優先し、仕事ではない時間をメインで過ごす」を実現することは、大切な課題である。


出典
岸本 裕紀子、『定年女子  これからの仕事、生活、やりたいこと』(集英社文庫)

(K0145) 個人Blog 9月中旬リスト <サイト紹介>


● 個人Blog 9月中旬リスト
 

(993) 何かに満足しようとする心 / 子育てって、楽しい(1)

(994) 痛々しい姿 / 白内障手術(1)

(995) 「デュッセン スマイル」 / 白内障手術(2)

(996) 話してみることの効用 / 白内障手術(3)

(997) 光を追いかける / 白内障手術(4)

(998) 「世界観」が大衆を動員する / 『全体主義の起原』(ハンナ・アーレント_) (3)

(999) 目薬の管理 / 白内障手術(5)

(1000) 「人生100年時代」

(1001) 「恥をさらして生きていく」

(1002) 「苦労した人」「苦労してない人」

2017年9月22日金曜日

(K0144) 「第一の人生」と「第二の人生」を重ね合わせる(2) / 人生100年時代の人生設計(4) <個人の発達>


前回(K0143)では、「ライフサイクル・モデル2(B)」を示し(今回も同じ図を添付)、「第二の人生」を立ち上げるために、「第二の人生」がどのようなものであるかのイメージづくりをした。今回は、その続き。
 

「第一の人生」 :
 「誕生」→「アイデンティテイ確立」→「アイデンティティ見直し」→死亡(完結)

「第二の人生」 :
 「誕生(再生)」→「アイデンティテイ確立」→「アイデンティティ見直し」→死亡
 

生身の人間は、「誕生」で始まり、「死亡」で終わる。そごで「第一の人生」の終わりは「死亡(完結)」、「第二の人生」の始まりを「誕生(再生)」と表現した。これらが大切なことは、(K0142)で既に述べた。

 

(1) 「アイデンティティの確立」

===== 引用はじめ
自己同一性(じこどういつせい、アイデンティティ、英: identity)とは、心理学と社会学において、ある者が何者であるかについて他の者から区別する概念、信念、品質および表現をいう。 … エリク・エリクソンによる言葉で、青年期の発達課題である。
===== 引用おわり
Wikipedia「自己同一性」
 

仕事人間が退職すると、肩書・地位も、収入も、人間関係も一気に失う。差し出す名刺がないのにも戸惑う。もっとも深刻なのは、アイデンティティの喪失であり、新たなアイデンティテイの確立が急務である。しかし、できていない人が多い。

「第二の人生」においても、「アイデンティティの確立」が重要である。

 

(2) 「アイデンティティの見直し」

===== 引用はじめ
ユングは、この「人生の正午」について次のように語っています。

「太陽は、予測しなかった正午の絶頂に達する。


正午12時に下降が始まる。

しかも、この下降は午前すべての価値と理想の転倒である。
太陽は、矛盾に陥る」

確かに、人生の正午を迎える時、
人は「自分自身について」「これからの生き方について」
真剣に考えることを迫られるでしょう。

午前と同じ生き方をしていくわけにはいかない、
今まではとは違う生き方をしなくては、でもどうすれば良いんだろう?
===== 引用おわり
http://www.j-phyco.com/category1/entry71.html

 

40歳ころまでは、未来に向かって突き進むことばかり考えていた。しかし、ふと、「過去にやりたかったけれど出来なかったこと」が気になり始める。忙しさにかまけてこれを忘れてしまって猪突猛進に戻るか、気になってウロウロするか。私は、ウロウロするのが正解だと思う。


生身の人間としては、周囲や運命に翻弄されながら、それでも鎧兜を身に着け、前に進んできた。それはそれでよい。ただ、そのうち、鎧兜=自己 と自分自身で錯覚してしまい、本当の自分が分からなくなる。「過去にやりたかったけれど出来なかったこと」は、本来の私が望んできたことを思い出すきっかけになる。「私は、本当に絵を描くのが大好きだったが、仕事の為に捨てた」等々。

この「過去にやりたかったけれど出来なかったこと」を実現するのが、「第二の人生」だと思う。ここを理解すれば、「退職して時間ができた。金もある。でも、することがなくて空しい」ということなど起こり得ない。

「第一の人生」で「絵を描く」は、例えば二科展に入賞することかもしれない。しかし「第二の人生」で「絵を描く」は、違っていい。仲間と一緒に絵描きを楽しんでみても良いし、一人であちこちに行って絵を描いて楽しんでも良い。ベッドに寝た切りなら、名画を模写しても良い。老人ホームの一画で、「個展」を開いても良い。身の丈で楽しむのが「第二の人生」の流儀だろう。
 

「中年の危機」という「危機」の英語は「クライシス」。「クライシス」には「分岐点」という意味もある。ここが分岐点であり、成功すれば、素晴らしい「第二の人生」が始まる。
 


「第二の人生」の「アイデンティティ見直し」に話を進める。

特別養護老人ホームでの質疑。「高齢になってもかくしゃくとしている人とそうでない人とがいる。その違いは何ですか?」「下の世話を自分でできることが大きい。これを境に、しぼんでしまう人が多い」

長生きをすると、かなりの高い確率で、自立を喪失する。自分のことを自分でできなくなり、他人の世話にならざるを得ない。それでも、自分の尊厳を保つために、多くの人は「アイデンティティの見直し」が必要になる。

 

「第一の人生」と「第二の人生」は、似た構造を持つ。