2017年11月30日木曜日

(K0214) 『生きていくあなたへ』(日野原重明) <臨死期>


『生きていくあなたへ』

タイトルを見るだけで壮絶だ。本当のタイトルが透けて見える。
 
『死にゆく私から
 生きていくあなたへ』

 

インタビューは、体調悪化で多くの仕事をキャンセルした中、本人の強い意志で続けられた。

 
「死が恐ろしい」-。インタビューは日野原さんの衝撃的な答えから始まっている。
《そう遠くない未来に自分が死ぬという事実を、とても恐ろしいことだと感じています》

 
もしも「死は恐ろしくない」と書いてあったら、「さすがに日野原さんは素晴らしい!」と感動するが、それで終わってしまうだろう。「死が恐ろしい」と言われると、他人事ではない。

===== 書評からの 引用はじめ
「(死に近づいていることは)本人が一番意識していたでしょうからね。でも質問に義父は、ありのままに自分の弱さもさらけ出して答えた。あれだけ多くの人の死を看取り、(キリスト教の)信仰を持っている人なのに…誠実だと思う一方で辛いなって」
===== 引用おわり
寄り添い続けた次男の妻、眞紀さん(70)の言葉

 

「死が恐ろしい」ならば、私でも言えるだろう。
でも、そこで終わらないのが、さすが、日野原さん。

===== 書評からの 引用はじめ
亡くなる10日ほど前になって知人にこう語ったという。
 《(死が)前は怖かった。一度、きれいなお花畑へ呼ばれたけど行かなかった。今はもう、その時に誰が手を携えてその世界へ連れて行ってくれるのか、その瞬間、どんなことが起こるのか、見るのがすごく楽しみなんだよ》
===== 引用おわり
 

どうしたら、こんなことを言いながら死んでいけるのだろうか。

本のタイトルの後半にヒントがあるのではないかと、私は思った。
 

『生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉』

「どうしても遺したかった言葉」。
心は、相手を思いやっている。
「私」に向かっていない。「私の死に」向かっていない。
最期まで、自分のことは後だ。

もう一つ。

自分の頭の中にあるものは、死ぬと同時に消え去る。
しかし、それを書いたものにしておけば、死後もそれは遺る。
魂の言葉を吐き出すことにより、そこにある魂は生き続ける。

 
一部だとは思うが、このような側面もあったのではないか。

 

前々回、私は書いた。

(K0212) 私が死ぬときの意思決定 <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/11/k0212.html
 

私は、すぐ死ぬとは思わないまま書いている。それはそれで意味あることと思っている。

それにしても、自分の死を体でも頭でも感じながら、書いた文章は、すさまじい。

 

Facebookの方では、次回「愛の実践の人だった」として続きを書く予定。
以下のBlogでも、同じ内容を掲載予定。
http://kagayaki56.blogspot.jp/

 

日野原重明、『生きていくあなたへ 105歳どうしても遺したかった言葉』(幻冬舎、2017/9/27


書評(喜多由浩)。産経新聞(2017/11/02)
http://www.sankei.com/life/news/171016/lif1710160032-n1.html

 
幻冬舎
http://www.gentosha.co.jp/book/b11125.html
 

楽天ブックス
https://books.rakuten.co.jp/rb/15112610/?lsid=a_bk_aun_sp_book_3974846
 

Amazon
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8F%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%B8+105%E6%AD%B3+%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E3%82%82%E9%81%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89+

2017年11月29日水曜日

(K0213)  超高齢社会の家族に対して、法律のできること <システムの構築>


前回のFacebook書き込み(1071)*に対して、Facebook友達のSizuka Kurotani さんからコメントをいただいた。大切な視点なので、今回、あらためて検討した。

*(注)下記にも、同じ内容の書き込みをしている。
http://kagayaki56.blogspot.jp/2017/11/10717.html

 

Sizuka Kurotani さん> 家族のことが書かれていませんが

 確かに「家族」というキーワードはでこない。

 高齢期で家族について法律が関係しそうなのは、

      成年後見制度(家族後見人の問題点)、
      相続と遺言、
      公的年金(夫の死亡後に妻が受け取れる年金)、
      住まい(高齢者二人住まい・独居、三世帯同居に対する施策)、
      介護(老々介護・認々介護。監督責任~事故を起こした時の慰謝料)、
あとは
      熟年離婚
      子の親に対する扶養義務
ぐらいだろうか。


 独立して章立てすると重なりが多いのと、そもそも法律では「家族」の定義がないことも影響しているかなと思った。

 

Sizuka Kurotani さん> いいにつけ、わるいにつけ、昔は高齢者も家族で支えていたのですね。本当に 文化は変わりますね

 本当は、「高齢者も家族で支える」のが自然な姿だと思うが、現実としては、「高齢者を家族が支えない」ことがあることも前提に、それでも一人でも多くの人が最期まで幸せに生きていけるために、万全にはできないだろうが、少しでも良い方向に近づけるためには、どうすればよいかという課題が大切だと思う。

 その際、超高齢期を迎えた日本においては、財源不足は前提としなければならない。「補助金を出す」といった金で解決しようとするアプローチは、根本的な答になっていない。

 だからといって「親の介護をしない人は牢屋に入れます」という法律は作れない。では、法律で何ができるのか? 限界がある。
 

 「文化は変わった」。それで不都合が起こるなら、「文化を変える」働きかけをしなければならないのではないか。具体的に何ができるのか、そしてそれを本当に我々自身が実行するのか、が問われている。

 解決するのは、政治家ではなく、我々自身である。それを政治家に、あるいは法律に、どう助けてもらえるのか、ということを考えていかねばならないのではないか。
 

 そんなことを考えた。

2017年11月28日火曜日

(K0212) 私が死ぬときの意思決定 <臨死期>


「自分の死に方は自分で決めましょう」。そのために「エンディングノート」を書きましょう、「リビングウイル」を書きましょう、と最近よく聞く。例えば、

 

しかし、私は、今のところ、書こうとは思わない。

 
(1) まさに死なんとするときの私の意思を、今の私は想像できない

(2) 私の死は私だけのものではない。私の死に伴う家族の悲しみを少しでも和らげたい。私が勝手に決めてよいものではない

(3) 私が意思表示できる状態なら、その時に意思決定する

(4) 私が意思表示をできなくなっての意思決定は、家族にしてもらってよいのではないか

(5) 死に対する考え方について折に触れて話し合っておけば、妥当な判断ができるだろう

 

「尊厳死」ではなく「安楽死」についてであるが、加藤尚武氏の文を素直に読んだ。

===== 引用はじめ
 欧米の安楽死論をみていると、心は変わりやすい、医療技術は日進月歩であるという2つの変わりやすさを無視しているように見える。法律上の責任免除の形式を守ろうとすれば、文書で書くことになるが、文書は「変わらぬ状況下で、変わらぬ意思を表明する」という形を避けられない。

 文書には書ききれないような状況の変化が実際に起こる。欧米では法律上の責任免除の形式に、実質的な状況判断が引きずられてしまっているのではないだろうか。
===== 引用おわり
 

そう、文章に書いてしまうことによって「実質的な状況判断」がゆがめられてしまうことを、私は恐れている。


===== 引用はじめ
 結局、私の本当の気持ちをくみ取ってくれる人に私の最後のみとりをお任せする以外に方法はない。
===== 引用おわり

私が思っていたことを、専門家があっさりと認めてくれた。

 

引用:
加藤尚武、「変わりやすさ無視した安楽死論」、正論、産経新聞(2017/10/30)
【正論】死にたいと思う心と日進月歩の技術…「変わりやすさ」無視した欧米の安楽死論 京都大学名誉教授・加藤尚武
http://www.sankei.com/column/news/171030/clm1710300005-n1.html

2017年11月27日月曜日

(K0211)  行政の一部、住民が担う <地域の再構築>


行政との付き合い方には、二つの考え方がある。

(1) 先ず真っ先に「自分たちのことは自分たちでする」があって、その足りないところ、できないところを行政にサポートしてもらう

(2) 行政のしてくれていないことを行政にしてもらえるよう、住民が訴える
 

よく耳にするのは(2)で、住民は行政がやるべきことをしてないと怒り、行政は何でもかんでもやってくれというと(口には出さないけれど)不満に思っている。
 

そういう(2)から離陸し、(1)の領域に飛び立っている地域もある。

===== 引用はじめ
 この間に何よりも変わったのが、住民の意識だという。以前は「役所が~してくれない」という声が多かったが、今、多いのは「役所が~させてくれない」という声。「市民バスの回数券を販売したい」「住民票を発行させてくれ」など、さまざまな要望が出る。山本さんは「住民は、自分たちの地域を自分たちで何とかするという意識を持っている。行政が思いもつかないアイデアが出て、驚きと発見がある」と話している。
===== 引用おわり

私が言いいことは、こういうことだ。
 

これに対する行政のコメントは、

===== 引用はじめ
 同市地域振興課の山本章平さんは「もちろんうまくいっている所ばかりではないし、サービスは(地域によって)平等でないかもしれない。だが、地域の課題はそれぞれ異なる。地域で主体性を持って考えてもらうことに意味がある」とする。
===== 引用おわり

前半は素直に読めるが、後半は引っかかる。「上から目線」を感じる。
「(行政が)住民に考えてもらう」というニュアンスが気になる。
「お上」が言っているから、当然のことなのだろうか。

 
介護保険の世界で、要支援の介護予防の部分を、「国に代わって自治体にさせる」「自治体に代わってボランティアやNPOにさせる」という流れになっているようで、これではいけないと、とても気になっている。

 

話を戻す。具体的に何をしているのか、紹介する。

新聞記事は、次のような説明から始まる。

===== 引用はじめ
 人口減少に直面する地方の自治体は、地域が抱える課題をどう解決すればいいのか。その一つの方策が、島根県雲南市(人口3万9519人、高齢化率35・73%)で実践されている。
===== 引用おわり
 

何を実践しているのか。

===== 引用はじめ
 民谷地区のシンボルは、各戸が毎朝、玄関口に立てる黄色の旗。全55戸の住民が朝に黄色の旗を掲げ、夕べにしまう。隣近所に“今日も元気です”と知らせるサインだ。
===== 引用おわり

民谷(みんだに)地区は、人口169人で高齢化率は44・97%に上る。

 
===== 引用はじめ
 見守りの対象は、80~90代で1人暮らしをする計8世帯。旗が出ていないと、近隣住民が声をかける。全世帯が旗を立てるのは、外部からの来訪者に単身者宅を知らせないためだ。
===== 引用おわり

なるほど。泊りがけで家をでる場合は、隣の人に旗を立ててもらうことも必要だろう。留守だと分かっては空き巣にねらわれそうだ。空き家が分かってしまうのも困るが、これは厄介だ。

 
===== 引用はじめ
 民谷地区振興協議会の主事、福間美幸さん(61)は「イベントもいいが、本当に住民のためになる活動を、ということで始まった」と言う。
===== 引用おわり

その通りだ。

 
同じ市内でも住民ニーズは地域によって違うから、行う事業は異なる。

  サロンを運営
  廃校になった小学校を交流センターに改修。宿泊や食事の提供もする
  放課後の公立幼稚園を借りて、子供を預かる
  住民が市の水道検診を請け負う
など。

 
背景としては、次のような事情があったようだ。

===== 引用はじめ
 合併時に6町で約500人だった職員数は今は約300人。将来を見据え、行政が担っていた地域づくりや地域福祉などを住民に任せることにした。
===== 引用おわり

 
引用:
旗立て、サロン、宿泊施設、子供の預かりも、ゆうゆうLife、社会保障、産経新聞(2017/10/21)

【ゆうゆうLife】行政の一部、住民が担います 「課題があれば市に要望」島根県雲南市の取り組み
http://www.sankei.com/life/news/171019/lif1710190014-n1.html


2017年11月26日日曜日

(K0210) 「認知症観を転換」しよう / 認知症観の転換(2) <脳の健康>


今回も、講師 中西氏(有馬高原病院)から聞いた話を中心にしてまとめる。

 
1.   「認知症は怖い」という認知症観からの転換


1.1.  「ここはどこだかわからない」は、本人にとってはどうなのか

 認知症が進んでくると「ココがどこだかわからない」という状態になる。でも「だから認知症の人は何もわからなくなっている」とは言えない。

 逆に「ココがとこだかわかる」我々は、何故わかるのか? 次のようなことを手掛かりとして分かっているのだ。「その前にいた場所からつながっている」「その前の時間からつながっている」「その周りにいる人の顔がわかる」。これらを失うと、我々も「ココがどこかわからない」ということになる。例えば、海外の空港に降り立ったとき、似たような状態になって心細い。でも、人に聞いたりして、ホテルまでたどり着ける。

 認知症は、このような状態に近い。手掛かりになる「つながり」を失って混乱しているだけで、何もわからなくなっているのではない。助けてもらえば、たくさんのことができる。

 
1.2.  認知症になってからも活躍している佐藤正彦さんからのメッセージ
https://www.sato-masahiko.com/

「あと5年経ったら何もわからなくなる」と言われた佐藤正彦さんは、アルツハイマー型認知症であるが、今でも全国各地で講演している。本も書いている。
 

1.2.1. 「認知症=不幸せ」とならないようにできている

 「認知症になっても、不便ではあるけれど、不幸ではありません」
 

1.2.2. 二つの偏見を克服する

===== 引用はじめ
 認知症と生きていく中で、私は二つの偏見を知りました。一つは自分の中にありました。「いろいろなことができなくなってしまう」という偏見(先入観)です。
 それによって、失敗ばかりするのではないかという不安に身動きが取れなくなる時期もありました。
 もうひとつは社会の中にありました。「認知症の人は考えることはできない、何もわからない」というものです。
 この二重の偏見は、認知症と生きようとする認知症当事者の生きる力を奪い、生きる希望を覆い隠すものだと思います。
===== 引用おわり

 佐藤さんは気づき、克服し、今日がある。

 
1.2.3. 認知症になっても、自分は自分である

===== 引用はじめ
 「できる」「できない」だけで人間を語ることはできません。
 自分が自分であることは、何によっても失われることはありません。
===== 引用おわり

 認知症の人もまた、「自分が自分である」
 

1.2.4. 自分で決められる

===== 引用はじめ
 認知症になると確かに不便ですが、決して不幸ではありません。自分がどのように生きていくかは、自分で決めて、自分で作ることができるのです。
===== 引用おわり
 

1.2.5. それでも、佐藤さんは前に進む

===== 引用はじめ
 物忘れが気にかかり夜は遅くなるまで眠れませんでした。私はもうこれで何もできなくなるのかと悲しく、夜になると涙が流れて困ってしまいました。
===== 引用おわり

DVDブック 認知症の人とともに 永田久美子 監修 より

 

2.   「わが事ではない」という認知症観からの転換
 

2.1.  高齢者の認知症の有病率(1)

 65歳以上の高齢者の認知症有病率の将来推計についてみると、平成37(2025)年には5人に1人となると見込まれている(図1-2-3-3)。
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2016/html/zenbun/s1_2_3.html

これを見ると80%の人は認知症にならないので、「私は80%の方であり、認知症にならない」と思う人がほとんどだろう。

 
2.2.  高齢者の認知症の有病率(2)

しかし、年齢階層別の認知症有病率をみると、85歳を超えると3人に1人、90歳以上では過半数が認知症であった(図2)。
https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1150010084.pdf

幸か不幸か、長生きをしてしまった(?)なら、認知症になると思っているのがよい。
認知症になるのは「わが事」である。

 

「認知症 = 不幸せ」とならないように、私たちにもできることがあるはずである。

 
添付図も、講師 中西氏(有馬高原病院)の資料から転載した。


(K0209) 「認知症観を転換」する必要性 / 認知症観の転換(1) <脳の健康>


「住み慣れた地域で、生涯自分らしく暮らすために」~ わかろう認知症・理解とそなえ~(第7回神戸市民フォーラム、神戸市地域医療推進協議会主催、2017/11/25)に参加した。
 

「認知症観の転換」という言葉を中西誠司さん(有馬高原病院)から聞いた。谷村忠之さん(認知症の人と家族の会)から聞いた話も組み込んで整理してみる。
 

全体のテーマは、「認知症観の転換」

今回は、「認知症観を転換」する必要性
次回は、「認知症観を転換」しよう

というコンセプトで整理する。
 

「認知症観」としては、

  「認知症は怖い」という認知症観
  「わが事ではない」という認知症観

の二つを取り上げる。

 

「認知症観を転換」する必要性

1. 「認知症は怖い」という認知症観

1.1. 何故、認知症が怖いのか

 認知症から連想する言葉を聞いたら、「物忘れ」「徘徊」「暴力」「被害妄想」「介護者の負担・心理的苦悩」「介護心中」「高齢者虐待」「悪徳商法被害」「交通事故」「ゴミ屋敷」「近隣トラブル」という言葉が出てきた。これでは、認知症を怖がるのは自然である
 

1.1.1. 認知症が怖いと、どういうことが起きて、それが何故、問題なのか

1.1.1.1. 認知症は怖いので近づきたくない

 認知症の該当キャンペーンをしていると、「認知症」という言葉を見たり聞いたりするだけで遠ざかろうとする人が少なくない → 認知症の人は、普通の人たちと穏やかに暮らすことにより、症状が安定したり進行が遅くなったりする。遠ざかろうとされると、認知症の人は傷つき、症状が悪化したり進行したりする

 
1.1.1.2. 認知症が怖いので知りたくない

 「認知症が怖い」「認知症になったら終わりだ」「認知症になったら家族が困る」という意識が強いと、怖くて認知症の診断を受けられなくなる → 認知症はできるだけ早期に発見し、対処することが大切である。特にMCI(軽度認知障害)の段階で発見し治療すれば、元に戻れることもあるし、進行を遅らせることもできる。MCIのままで放置すると、数年後には本格的な認知症になることが多い

 

1.2. 「わが事ではない」という認知症観

1.2.1. 認知症診断を受けようとしない

 「私は認知症にならない」と決めつけて認知症診断を受けないため、発見が遅れ、重度の認知症になってしまう恐れがある。

 
1.2.2. 「お互い様」という意識で、認知症の人と接することができない

 住み慣れた地域の中で、認知症になっても暮らそうとするなら、連帯が必要である。「先になった人を後になる人が支える」という地域を作れない。


2017年11月24日金曜日

(K0208) 健康長寿新ガイドライン <体と心の健康>


高齢になっても元気でいられる人と、そうでない人がいる。両者はどこが違うのか-。

そんな健康長寿の鍵を探る疫学研究を続けている東京都健康長寿医療センターが、健康長寿を延ばすのに有効と考えられる方策をまとめた「健康長寿新ガイドライン エビデンスブック」を刊行した。
 

3部構成になっている

(1) 「テーマ別12の指針」  …健やかに過ごすための暮らしの指針
(2) 「各論パンフレット」   …12か条のテーマに沿って一般向けにやさしく解説
(3) 「エビデンスブック」   …専門職・研究者向け
 

12か条とは、「食生活」「お口の健康」「体力・身体活動」「社会参加」「こころ(心理)」「事故予防」「健康食品やサプリメント」「地域力」「フレイル」「認知症」「生活習慣病」「介護・終末期」である。

例えば、中年期までは問題とされる肥満よりも高齢者では、やせや栄養不足の方が深刻だとして、体格指数(BMI)20以上の体重を維持することの大切さなどを強調している。

 

高齢者では、心身の機能だけでなく、生活する力や社会との関わりも評価する「機能的健康」という考え方が重要になっている。
 

以前に「トライアングル理論」について書いた。例えば、

(K0175) 立体トライアングル・モデル / トライアングル理論(4) <定年後>」
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/10/k01754.html

定年後は、「趣味」「生活」「社会参加」のトライアングルを形成することが大切だと述べた。
 

「生活する力」(生活)と「社会との関わり」(社会参加)とが共通している。
トライアングル・モデルの考え方を「健康長寿新ガイドライン」の言葉で説明すると、「機能的健康」を大切にしなさいということになる。

 
トライアングル理論では、「お金」「健康」の基盤の上に「趣味」「生活」「社会参加」のトライアングルが成立すると考えた。
健康長寿新ガイドラインは、逆方向の影響もある、すなわち、「生活」「社会参加」が「健康」によい影響を与えることを示唆している。

 

参考資料:

解説文(産経新聞 2017/10/14
http://www.sankei.com/life/news/171012/lif1710120016-n3.html

「共同通信PRワイヤー」「健康寿命新ガイドラインを策定」
https://prw.kyodonews.jp/prwfile/release/M104437/201706082541/_prw_PA2fl_O42PFw5G.pdf





(K0207)  高齢者の安否確認せず <地域の再構築>


「高齢者の安否確認せず 大阪府警巡査長 翌朝救助、後遺症」というタイトルが気になった。
(産経新聞 2017/11/17

タイトルが少し変わっているが、内容は、以下から把握できる。
「巡査長、高齢女性の安否確認相談の届出に動かず、翌朝に意識障害で発見 大阪府警」
http://www.sankei.com/west/news/171117/wst1711170027-n1.html
 

記事は、巡査長の対応を非難するように書いてある。

そういう面もあろうが、本質は違うのではないか。

 

先ず、事件の概要を説明すると、

(1) 女性の知人が交番を訪ね、巡査長に「女性と4日間連絡が取れていない。新聞も取り込まれずに残っている」と相談した

(2) しかし巡査長は安否確認に乗り出さなかった

(3) 知人は翌日朝に改めて女性宅を訪問したうえ、近隣の住人にも事情を説明。住人が同署に通報し、別の交番から駆けつけた50代の男性警部補が窓越しに女性のうめき声を聞き、消防に連絡した

(4) 消防のレスキュー隊員が、窓を破って室内に入り、意識が混濁した状態でトイレで動けなくなっている女性を発見、病院に搬送した。脳梗塞で一定期間倒れていたとみられ、まひなどの後遺症が出ているという

 

(A) 良かった点

 「交番に届け出た知人はカラオケ喫茶を経営。倒れていた女性は店の常連客だった」 … こういう配慮が、孤独死を防ぐ。このようなネットワークが大切。それが機能していた。

(B) 課題

  窓越しに女性のうめき声を聞いたのは警察だが、窓を破って室内に入ったのは消防だった。おそらく警察は窓を破って室内に入る権限はなく、人命救助という使命ゆえに消防には権限があるのではないか。つまり、警察を頼っても制約があるのではないか

  もしも鍵を開けていたら、あるいは知人や近所に鍵を預けておれば、「知人」と「近隣住民」が室内に入り、その日のうちに発見・救出できたのではないか

 

この事件を警察の問題ととらえるのも間違いではない。

しかし、根本的な解決策は、私たち自身の手にあるのではないか。

2017年11月22日水曜日

(K0206) 催し物情報(15) <催し物紹介>


前回の配信は、

(K0200) 催し物情報(14) <催し物紹介>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/11/k020014.html
 


今回の配信は、


中世期における兵庫津流通史論、講師:神木哲男(神戸大学名誉教授)

1126()13:00~、会場:岡本倶楽部3階ホール

参加費:0円、主催:神戸商工会議所中央支部

チラシ等URL
https://drive.google.com/file/d/1I6c8NP7p5ZrDHFeZnsxeS8pqrlW3u17S/view?usp=sharing




ロービジョンサポートフェア講演会、講師:堀内恭子(日本歩行訓練士会 事務局長)、山田千佳子(NEXT VISION 事務局長)

129()14:00~、会場:神戸市立葺合文化センター 大ホール

参加費:0円、主催:神戸アイライト協会

チラシ等URL
https://drive.google.com/file/d/1vIxmlxLzY5D2WIjGfyQn0yFKhsMY8HCX/view?usp=sharing
https://drive.google.com/file/d/18csY1eVlm_lrP2WVKmN9gvLGBF63uq_E/view?usp=sharing

 


【テキスト】池田香代子訳『夜と霧』みすず書房、輪読形式

1210()09:00~、会場:siteなんば3F R6

参加費:0円、主催:フランクル研究会

チラシ等URL
http://www.geocities.jp/franklken/

範囲:46頁から

 


「満点のゴール」、トーク:藤村陽子(著者)

1210()15:00~、会場:隆祥館書店5階 多目的ホール

参加費(本代を含む):3000円、主催:隆祥館書店

チラシ等URL
http://atta2.weblogs.jp/ryushokan/2017/11/20171210-%E6%BA%80%E7%82%B9%E3%81%AE%E3%82%B4%E3%83%AB%E7%99%BA%E5%88%8A%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88-%E8%97%A4%E5%B2%A1%E9%99%BD%E5%AD%90%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96-%E5%8F%B8%E4%BC%9A%E8%81%9E%E3%81%8D%E6%89%8B%E4%BA%8C%E6%9D%91%E7%9F%A5%E5%AD%90-no185.html