2018年1月31日水曜日

(K0276)  人口減少社会と地方再生 <地域の再構築>


1月6日に開催された「第34回土光杯全日本青年弁論大会」のテーマは、「人口減少社会と地方再生」だった。
 

入賞者とタイトルは、

【土光杯】松下天風(てんふう)(18)=岡山県立倉敷天城高2年
  「高校生が考える未来の日本」

【フジテレビ杯】青木優介(32)=会社員
  「未来のために覚悟を決める」

【ニッポン放送杯】小野寺崇良(たから)(22)=立命館大4年
  「故郷に想う」

【産経新聞社杯】児玉達朗(19)=慶応大1年
  「地方銀行と地方創生の共同成長」

【特別岡山賞】坂田寛子(32)=主婦
  「人づくりによる、まちづくり」
 

このうち、【土光杯】青木天風の発表の様子(ノーカット版。1134秒)は、
  https://www.youtube.com/watch?v=nS8B9zFdH80

また、【フジテレビ杯】青木優介がふれた「母親資本」は、前々回取り上げた。
  (K0274)  合計特殊出生率をV字回復させた「母親資本」(ロシア)
  http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/01/k0274.html

 

渡辺利夫 審査委員長は、講評の中で、次のようにまとめた

  出生増加に向けては累進的な加算給付も検討しなければならないが、財政のプライオリティ(優先順位)をどこに置くべきかが問題

  世界展開を視野にも入れた、AIやロボットの活用による、人生に余裕を生み出すビジネスモデルの創設が必要

  高齢者の就職支援への理解を高めることが重要

  高齢者だけでなく若者向きの政策も実現するため、投票に年齢別の価値づけを検討してもいいのでは

  戦後日本では個の重要性が絶対視されているが、一番の基礎的共同体である「家族」について、EU憲章と同様、「家族の生存権」も憲法にうたうべき


出典
「第34回土光杯全日本青年弁論大会」、産経新聞(2018/01/25)
土光杯弁論大会 最優秀賞の松下天風さんは高校生初受賞 新設の特別賞岡山賞は坂田寛子さん
http://www.sankei.com/life/news/180106/lif1801060048-n1.html
添付写真は、このサイトから転載。「土光杯を受賞し喜びを語る松下天風さん(県立倉敷天城高校)=6日、東京・大手町(古厩正樹撮影)」

2018年1月30日火曜日

(K0275)  孤独担当相(イギリス) <インクルーシブ社会>


孤独に関する関心が高まってきた。14%(=900/6560万)は、無視できない。

孤独が問題になっているのは、日本だけではないようだ。
 

===== 引用はじめ
 メイ英首相は17日、孤独を感じることによる健康への悪影響などの問題を解決するため、「孤独担当相」を新設し、トレイシー・クラウチ下院議員を任命した。メイ氏は声明で「孤独は現代生活の悲しい現実。高齢者や介護者、愛する人を失った人々などが直面する孤独に対し、行動を起こす」と述べた。

 英赤十字社によると、英国の人口6560万人のうち900万人以上が常に、あるいは頻繁に孤独を感じ、高齢層の約20万人が1カ月以上、会話をしていないという。

 2016年に英中部で殺害された女性議員ジョー・コックス氏が生前に孤独問題に取り組んでいたことから、その遺志を継ぐために新設。クラウチ氏は慈善団体や企業などと協力し政府の戦略を練る。(ロンドン 岡部伸)
===== 引用おわり
 

また、
 心疾患および予備軍と診断された45歳以上の4万5000人を対象に実施された調査では、1人暮らしの人の方が、誰かと同居している人よりも死亡する確率が高いことが分かった。若者の場合も、ソーシャルメディアのヘビーユーザーほど、社会的孤立度が高い傾向があった。

 孤独は別の面でも健康に悪影響を及ぼしかねず、例えば運動不足になったり食事がおろそかになったり、医者へ行こうという気が起きにくいこともある。それがストレス増大や血圧上昇を引き起こし、心疾患につながることがある。

 

引用
英に「孤独担当相」新設   認知症など健康対策視野 産経新聞(2018/01/18 E
英が「孤独担当相」新設 約7人に1人が「孤独感じる」
http://www.sankei.com/world/news/180118/wor1801180027-n1.html

 

(K0274)  合計特殊出生率をV字回復させた「母親資本」(ロシア) <少子高齢化>


===== 引用はじめ
隣国ロシアは、ソ連崩壊後に合計特殊出生率が1999年に1.2を割り込んだが、最近は1.7以上に改善している。この改善に効果的だったと言われているのが「母親資本」制度であり、第2子を産んだ場合に1回だけもらえる年収の0.52倍相当の税財源の補助金である。
===== 引用おわり

図1「(K274)日本・ロシアの合計特殊出生率推移の比較」を添付する。

 

第2子を産んだ場合に1回だけもらえる年収の0.52倍相当の税財源の補助金である。

受給要件の詳細は、添付資料参照。
 

母親資本を授与されるのは1回だけであり、第3子以降が生まれても授与されない。第3子以降に対しては、教育費の援助や土地が無償でもらえるなど、別の優遇策がある。

支給の水準としては日本円換算で100万円程度である。しかしロシアの業種別平均年収からみれば、年収の0.5倍ないし2倍の大金である。

母親資本の用途は、住宅環境の向上、子どもの教育、および退職した母親の年金原資に限定されており、車の購入や土地のみの購入は禁止されている。母親資本の水準からすると「子どもを2人産むと家が買える」ということになろう。
 

ロシアは母親資本以外にも長い育児休暇等多くの出産・子育て支援措置があることもあり、母親資本がロシアの合計特殊出生率V字回復に貢献しているかについては議論があるが、肯定的な研究が多いようである。
 

仮に「日本版母親資本」を導入するかを検討する場合には、日本において少子化対策としての政策効果があるかを分析する必要があると同時に、財源の確保が問題になる。
 

なお、「第34回 土光杯全日本成年弁論大会」でフジテレビ杯に輝いた青木優介は、論文で「母親資本」に言及している
 

引用
杉田健(2016)、ロシアの少子化対策「母親資本」制度とその効果、
http://www.nensoken.or.jp/researchreport/pdf/rr_28_12.pdf
添付図は、このサイトより転載


2018年1月29日月曜日

(K0273)  福祉と事業との両立 <インクルーシブな社会>


 前回、「就労継続支援A型事業所」について書いた。このブログは「少子高齢社会」に関するものであり、直接は関係ない。それでも、あえて取り上げたのは、「福祉」と「事業」との関係について考えたかったからである。少子高齢社会において、福祉と事業をどのように両立させられるかは、関心事である。


 私の考察結果としては、

(1) 福祉と事業が両立する素晴らしい事例は確かに存在するが、あくまで特殊例であり、ほとんどは両立に苦労していそうだ。つまり大多数の事業所に実現困難なことを要求しているのではないだろうか

(2) 福祉の意義を理解し、誠実に理想を実現しようとしている事業所がある一方、「障害者支援のスキルのない企業が国からの給付金目当てに参入、運営に行き詰まった結果、閉鎖に至る例が少なくないと見られる」(前回(1)参照)のが現実だろう

(3) 英語では、”The rotten apple injures its neighbor.”と言うらしい。和訳すると「腐ったリンゴは傍らのリンゴを腐らせる」。国はコストと時間をかけてでも、腐ったリンゴを取り除くべきだと思う

(4) 少しの理想的な事例があっても、それが一般に普及する見込みが少ないなら、そのような制度を設計すべきではない。普及見込の判断が甘かったのではないか
 

 「就労継続支援A型事業所」を対象としての考察だが、高齢者を対象とした福祉でも同じようなことが言えると思う。

 

 「就労継続支援A型事業所」の背景を先ず確認する。


 生涯者福祉制度においても、「措置制度」から大きく転換した。

===== 引用はじめ
 障害者福祉制度は、2003(平成15)年4月の「支援費制度」の導入により、従来の「措置制度」から大きく転換されました。措置制度では行政がサービスの利用先や内容などを決めていましたが、支援費制度では障害のある方の自己決定に基づきサービスの利用ができるようになりました。
===== 引用おわり
http://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/syogai/handbook/system/
 

 障害福祉として提供されるサービスの一つとして、就労継続支援A型(雇用型)がある。

===== 引用はじめ
「労働者」として働きながら、一般企業への就職をめざすためのサービス:
 企業等に就労することが困難な障害のある方に対して、雇用契約に基づく生産活動の機会の提供、知識および能力の向上のために必要な訓練などを行います。
 このサービスを通じて一般就労に必要な知識や能力が高まった方は、最終的には一般就労への移行をめざします。
===== 引用おわり
http://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/syogai/handbook/service/c078-p02-02-Shogai-21.html

 

 ところが、就労継続支援A型事業所で大量解雇が相次いでいる、というのが前回の(1)である。番組の解説によれば、そもそも二つの問題が起こっていた。

(1) 「労働者」として働いていたが、仕事をもらえないことが多かった
(2) 「一般就労に必要な知識や能力が高まるような」仕事ではなかった
そして、先に述べたように、
(3) 大量解雇が相次いでいる
 

 番組の解説によれば、賃金は本来、事業収益から支払われるべきなのだが、実際には雇用者一人当たりで支給される補助金から支払われることが多かった。そうなると、事業所としては、補助金と支払う賃金との差が利益になるのだから、できるだけ働かせない方が、利益が増える。また、補助金は、雇用者の数に比例するので、できるだけ多くの雇用者を確保しようとする。

 それは好ましくない状態なので、3年間の猶予をもって、厚生労働省は、補助金から賃金を支払うことを禁止することとした。しかし、そうなると収益事業としての「就労継続支援A型事業所」の経営の魅力がなくなる。だから、法が厳格に適用される前に、この事業から撤退しようとし、だから、大量解雇が発生する。
 

 番組では、クリーニング事業が紹介された。障がい者の特性(番組では「すぐ忘れてしまう」という特性)を考慮し、段ボール紙にすぐに書き込むことにより、仕事ができるようになった。その結果、一般のクリーニング店で採用されるようになった。また、前回(3)では、茸づくりでの成功事例が紹介されている。

 しかし、この二つは、稀有な特殊例だと思う。そのことを前回(2)のデータベースで検証する。

 現存する「就労継続支援A型事業所」での「仕事内容」をいくつか例示する。

  おしぼりの検品、加工、レンタルマット、おしぼりリース
  食肉の製造・販売
  食品(パン製造販売)、役務(清掃)、内職(竹炭)、店舗運営(「ふらわぁぽえむ」)
  雑貨(各種ノート類、メモパット類、レターセット類)、軽作業(タオル折り、箱折り、商品セット包装等)
  クリーニング(リネンサプライを中心に各種ウェア等)

 この仕事で、賃金を支払いながら「一般就労に必要な知識や能力が高める」ために、大変な苦労をされているのではないだろうか(現場を見ていないので、何とも言えないが)。
 

 どこまで信用できるかよくわからないが、次のサイトは、ある程度は、現状を示しているのではないだろうか。
https://www6.nhk.or.jp/heart-net/voice/bbs/messagelist.html/index.jsp?topic=2539

2018年1月28日日曜日

(K0272)  就労継続支援A型事業所 <インクルーシブな社会>


このところ立て続けに3件「就労継続支援A型事業所」に関する話題に接した。
 

(1)  NHK かんさい熱視線「“障害者大量解雇”社会参加をどう進めるか」
NHK総合 1月27日(金) 午後730分~ 午後800

===== 引用はじめ
 障害者が働きながらスキル向上を目指し、一般企業につなぐ就労支援施設で、大量解雇が相次いでいる。背景を取材、障害者の社会参加をどう進めていくのか考える。
 障害者が大量に解雇される事件が相次いでいる。舞台となっているのは就労継続支援A型事業所。一般企業への就職を目指す障害者が、雇用契約を結び、賃金を受け取って働きながら、スキルアップを図る場だ。しかし障害者支援のスキルのない企業が国からの給付金目当てに参入、運営に行き詰まった結果、閉鎖に至る例が少なくないと見られる。大量解雇の背景を取材、障害者の社会参加をどう進めていくのか考える。
===== 引用おわり
http://www4.nhk.or.jp/P2852/x/2018-01-26/21/39633/8207914/
 

(2) 「就労継続支援事業所」でボランティアしたいと思うが、どこに行けばよいか教えてほしいと知人から聞かれた

 私も知らなかったので、生きがい活動ステーションで聞いてみた。担当者は「私も知らないので、本部に聞いてみます」。教えていただいたのが、

NPO法人兵庫セルプセンター
http://www.hyogo-selp.jp/
例えば、地域を指定して、作業所を検索できる。

「困ったときのCS神戸頼み」。いつもありがとうございます。
 

(3) 「障害者 生き生き栽培  大阪の住宅街で品質自慢のシイタケ」
産経新聞(2018/01/22) … 添付写真は、ここから転載。
 「就労継続支援A型事業所」として、1060代の男女15人と雇用契約を結んでいる「街かどあぐりにしなり よろしい茸工房」。A型事業所の成功例。詳細は、以下参照。
http://yoroshitake.com/
(説明の動画もある)


次回に続く予定。

2018年1月27日土曜日

(K0271) ディスコン <体の健康・脳の健康>


 前回、棒サッカーについて書いた。今回は、ディスコンについて書く。

===== 引用はじめ
 ディスコンってどんなスポーツ? 赤と青の2チームに分かれて、1チーム6枚の円盤を投げ、どちらが ポイントに 近づいているかを競う簡単なスポーツです。 初めての方でもベテランの方と対等に競技を楽しむことができます。
  うまくポイントに近づけようと一生懸命投げているうちに予期しない展開となり、様ざまなドラマが生まれ 盛り上がります。 ディスコンは、大人も、子供も障がいをお持ちの方も誰もがいつでも、どこでも楽しめる ユニバーサルスポーツで、いつも仲間の拍手と笑声がいっぱいです。
===== 引用おわり
http://disconosaka.blogspot.jp/
添付写真は、ここから転載。
 

 「ディスコン」とは「円盤ペタンクだ」。「ペタンクと似た遊びだが、ボールではなく円盤を使う」という説明があるが、そもそも「ペタンク」もあまり知られていないだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AF

 私は、「ディスコン」とは「陸上カーリングだ」。「カーリングと似た遊びだが、氷上ではなく陸上(室内)の競技で、ストーンではなく円盤を使う」と説明する。最近では、「カーリング」の方が、知られているだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

 「ペタンク」も「カーリング」もWikipediaに出てくるが、「ディスコン」は出てこない。残念ながら未だ知名度が低いが、なかなか面白い。

 

 日本ディスコン協会のホームページは、
http://japan-discon.com/
 ここに動画がある。詳しいが(詳しいから)、少々長い(1332秒)。

 簡潔な動画は、例えば、以下(225秒)
https://www.youtube.com/watch?v=hqBAT1KRbBY

 

 前回、「棒サッカー」が盛り上がったのは、「チーム戦」「勝負あり」がキーワードだろうか、と書いた。「ディスコン」の盛り上がりも同じ要素によるものだろう。「高齢者でも、初めてでも、楽しく遊べる」も共通している。

 違いは、棒サッカーでは歩かないが、ディスコンは歩く。棒サッカーは少し認知症が進んだ方でも楽しめるが、ディスコンは認知症予防の位置づけだろう。棒サッカーは「上達」の要素が少ないが、ディスコンでは上達していく(奥が深い)。


2018年1月26日金曜日

(K0270) 棒サッカー 100歳夢中 <体の健康・脳の健康>


===== 引用はじめ
 足の代わりに座った状態でサッカーボールを棒をたたいて転がし、ゴールに入れる「棒サッカー」が高齢者らの間で静かな人気を集めている。元々は高齢者が通うデイサービス用に考案されたもので、身体機能や認知機能の維持向上につながるメリットがあるとされる。「身体障害者や要介護の人でも楽しめる」。関係者は、さらなる普及に期待を寄せている。(前川康二)
===== 引用おわり
 

 有料老人ホームのアクティビティで、簡単な「棒サッカー」を手伝ったことがある。確かに盛り上がった。「チーム戦」「勝負あり」がキーワードだろうか。認知症のかなり進んだ方も、中に入って、見違えるような動きをしていた。
 

===== 引用はじめ
 棒サッカーは通常のサッカーと同じ1チーム11人制。長さ12メートル幅90センチのパネルで囲まれた「ピッチ」の周りに椅子に並べて両チームが向かい合って座り、クッション材を巻いた長さ60センチの棒でサッカーボールをたたいて転がし、相手ゴールに押し込んだら得点となる。
===== 引用おわり

説明を読むより、画像を見る方が早い。
 

「棒サッカー」、具体的には「日本棒サッカー協会」
http://bo-s.or.jp/

 

出典
棒サッカー 100歳夢中、産経新聞(2017/11/27

ポスト・ゲートボール? 棒でボールつつく「棒サッカー」が人気 高齢者「闘争心湧く」、障害者も一緒にプレー可能
http://www.sankei.com/west/news/171127/wst1711270039-n1.html
このサイトにも動画あり。また、添付図・写真は、ここから転載。


2018年1月25日木曜日

(K0269)  生活援助ヘルパー <公助>


===== 引用はじめ
 要介護の高齢者宅に介護ヘルパーがやってきて、食事作りや掃除などをしてくれる介護保険の「生活援助」。これに携わる介護職について、厚生労働省は平成30年度から、今よりも短時間の研修で従事できるようにしたい考えだ。
===== 引用おわり
 

厚生労働省の狙い・構想

(1) 介護職が不足するなか、人材の裾野を広げて担い手を確保するのが狙い

(2) 短時間の研修制度を設けて、もっぱら生活援助に携わる介護職(仮称「生活援助ヘルパー」)を作りたい。(介護保険の訪問介護に携わるには、今は130時間の「介護職員初任者研修」を受ける必要がある)

(3) 講習には、認知症高齢者についての知識や、利用者のどんな変化に気付けば良いかなどを盛り込む方針

(4) 「生活援助ヘルパー」は、食事作りや掃除などをする介護保険の「生活援助」を担当する。(生活援助の仕事には現在、介護職の上級資格に当たる「介護福祉士」も従事している。介護福祉士には入浴介助やおむつ交換などの「身体介護」に軸足を移してもらい、役割分担による住み分けを狙う)

(5) こうした“住み分け”は、事業者が受け取る介護報酬にも影響を与えそうだ。生活援助の報酬がさらに引き下げられる可能性がある。(厚労省はこれまで、生活援助の報酬と、身体介護の報酬に差をつけてきた)。

 

 技術・技能を要する難しい仕事(a)と、誰にでもできる簡単な仕事(b)に仕分けし、技術・技能のある人には高給で(a)を担当してもらい、(b)は出来るだけ給料の低い人に担当してもらう。企業としては当たり前のことで、これをしないと普通の企業は倒産する。(元)企業人から見て、このような考えを受け入れない介護業界は不思議な世界だ。

 

===== 引用はじめ
 時間給が低かったら、人は集まらないと思う。重い人を率先して受けていこうという、気持ちの上でのまとまりも作りにくくなる
===== 引用おわり

 人が集まらなければ、厚生労働省も時間給を上げざるを得ないのではないか。時間給の低い「生活援助ヘルパー」は、食事作りや掃除などの「生活援助」をするのだから、「重い人」かどうかは、関係がないのではないか。「重い人」かどうかが影響するのは、「身体介護」をする「介護福祉士」であり、彼らの時給が下がるわけではない。これまでも「重い人」を受けていた。

 

===== 引用はじめ
 生活援助と身体介護の区分は、実はそう簡単ではない。例えば、単なる調理の代行は生活援助だが、利用者を手助けしながら一緒に食事を作る行為は身体介護。認知症の高齢者と冷蔵庫の整理をすることで生活経験を取り戻す行為も身体介護に分類される。厚労省はこうした区分についても、あわせて明確化する。
===== 引用おわり

 「そう簡単ではない」ようだが、でも、できているではないか。

 

===== 引用はじめ
 認知症の介護は、身体と生活を区別できない。一体的に提供されるもので、区分けには無理がある
===== 引用おわり

 身体と生活が区分できないものは、「身体介護」の人しかできず、お金は「身体介護」をベースに算定されるのではないか。それなら問題ないのではないか。

 

 「介護福祉士」と「生活援助ヘルパー」の二種類の職種を雇わねばならないのは、確かにやりにくい。仕事量が変動するので、何人ずつ採用するかは悩ましいところである。それに対しては、同業者と融通しあうシステムを作るなど工夫する。企業努力として当然すべきことを、しようとしていないのではないか。

 介護の仕事を直接したことがないので、難しさを理解できていないのかも知れないが、私から見ると、不思議な世界だ。介護の仕事をビジネスにしたところに、そもそもの無理があったのだろうか。

 一番の問題は、生活援助ヘルパーを確保できず、でも、生活援助を受注し、低い単価で介護福祉士がその仕事をせざるを得なくなる … だろうか。

 

出典
短時間研修で従事、現場は懸念、ゆうゆうLife/社会保障/産経新聞(2017/11/25

「生活援助ヘルパー」の訪問介護 現場から不安の声も
http://www.sankei.com/life/news/171123/lif1711230032-n1.html

2018年1月23日火曜日

(K0268)  祈りは遺伝子を「活性化」する <心の健康・体の健康>


===== 引用はじめ
 われわれは「宗教的な祈りや瞑想」をそのまま研究対象にした。なぜなら「祈りや瞑想」は単なるリラクセーションや集中力アップの手段ではなく、大自然と調和した一体感や神仏との合一体験などの意識状態の変性を伴うものであり、そこに「祈りや瞑想」の本質があると考えたからである。
 まず、祈りや瞑想が身心にどのような影響を及ぼしているかを調べるため、日常的に祈りや瞑想を実践している高野山真言宗僧侶における遺伝子発現の活性化(オン・オフ)の検討を行った。
===== 引用おわり


 その結果、「僧侶型オン遺伝子」を発見した。
 

===== 引用はじめ
 今回、「僧侶型オン遺伝子」として見いだされた遺伝子はいずれもI型インターフェロン関連遺伝子であった。I型インターフェロンはウイルスの増殖を抑えたり、感染した細胞を除去したりすることによって、ウイルスから身体を守っているタンパク質である。僧侶群におけるこの特徴は、僧侶になるための修行か、あるいは日常の行において獲得・維持された資質であると考えられる。すなわち、僧侶では自然免疫系が全体に活性化していると考えられる。
===== 引用おわり
 

 さらに、この「僧侶型オン遺伝子」と「共感性」に一定の関連性が見いだされた。
 

===== 引用はじめ
 一方で、僧侶は他人の感情や行動に対する共感の度合いが高かった。これは、僧侶の心理的な感受性の強さの表れといえる。本研究で最も興味深い結果とは、共感性と僧侶型遺伝子に一定の関連が見いだされたことである。僧侶における自然免疫系の活性化は、僧侶の身体的な感受性の強さの表れの一つとして捉えることもできる。
===== 引用おわり
 

 ここから、「共感という心理的な感受性と、自然免疫機能という身体的な感受性に共通の基盤がある」ことが推測される。
 

 祈りが科学されている。

 『21世紀の人類が直面する課題は、科学だけでも宗教だけでも解決しない。宗教がもたらす人間性の深い理解と、現代科学の知見を融合して苦難を克服しなければならない。村上和雄博士の重要な研究が、私たちの目標に近づけてくれる』(ダライ・ラマ14世)
 

出典
井上和雄、祈りは遺伝子を「活性化」する、正論、産経新聞(2018/01/11)
祈りは遺伝子を「活性化」する 慈悲の心が免疫機能の強化につながる 筑波大学名誉教授・村上和雄
http://www.sankei.com/column/news/180111/clm1801110005-n1.html

2018年1月22日月曜日

(K0267)  個人Blog 1月中旬リスト <サイト紹介>


(1115)  (0)連載作品決定 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/1115-050.html


(1116)  「敬天愛人」の思想 /西郷隆盛『南洲翁遺訓』(2-1)
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/1116-2-1.html
 

(1117)  「天」と「道」・陽明学 /西郷隆盛『南洲翁遺訓』(2-2)
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/1117-2-2.html
 

(1118)  新春三社詣 奈良方面日帰りの旅
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/1118.html
 

(1119)  映画「幸福」(監督:アニエス・ヴァルダ)
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/1119.html
 

(1120)  (1)中村正直訳『西国立志編』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/1120-150.html
 

(1121)  人口減少社会と地域コミュニティ / 「人口減少社会の構想」(11) (放送大学)
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/112111.html
 

(1122)  仕事と社会参加 / 「家族と高齢社会の法」(11) (放送大学)
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/112211.html
 

(1123) 「文明」とは何か /西郷隆盛『南洲翁遺訓』(3-1)
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/1123-3-1.html
 

(1124)  西郷隆盛は、反「征韓論」 /西郷隆盛『南洲翁遺訓』(3-2)
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/1124-3-2.html

(K0266) 「助けて」と言わない。その理由 / 抱樸(3) <インクルーシブ社会>


 以前に「住民の孤立化防止」に取り組んでいた時に在宅介護支援センターの方から次のような話を聞いた。「助けを必要とする人がたくさんいる。助けを求めてくれれば、できることは色々ある。でも、助けを必要としているのに助けを求めてこない人に対しては、なかなか動けない」。

 助けてと「言わない」「言えない」困窮者がいる。助けてと「言わせない」社会がある。何故、こうなってしまうのだろうか。
 

===== 引用はじめ

 困窮者の抱える苦難は、抱えている問題の深刻さに加え、「助けてくれる人がいない」という「疎外」の現実から来ている。そして、「孤立」は「無縁」であると同時に「無援」の状態を指す。この「無縁」かつ「無援」の状態が問題解決をいっそう困難にさせる。「助けて」と叫んだにもかかわらず誰も助けてくれなかった。あるいは「助けて」と言うこと自体を諦めている。自己責任論が強まり、社会自体が無責任化する中で、このような「社会的シカト(無視)」状態が各所で見られる。「どうせ、助けてと言っても無駄」「『何を甘えているんだ、あなた自身の努力が足りない』と非難されるだけ」。そのような諦念が困窮者、とくに若年の困窮者を支配している。これは、自己責任論社会が「助けて」と言わせない社会であることを示している(この問題についてはNHKクローズアップ現代取材班『助けてと言えない――いま30代に何が』文藝春秋、2010年を参照)。

 困窮者は「助けて」と言わない。しかし、それは先にふれた「どうせ言っても無駄」という諦めから来ているだけではない。さらに別の理由も存在する。すなわち困窮者自身、自分が困窮状態であることを知らない、気づいていないという現実があるのだ。

 リーマンショック以後、ホームレス状態の若者と出会う機会が増えた。パトロール(巡回相談)において「大丈夫?」と声をかけるのだが、少なくない若者が「大丈夫です」と言って立ち去っていった。当初は彼らなりのプライドが邪魔をして容易には支援を受けたくないという心理がはたらいているのだろうと思っていた。なかには「僕は違いますから(ホームレスではない)」という返事をする若者もいた。あるいは、前述のごとく自己責任論社会が「助けて」と言わせないという現実もある。

 それでも根気よく語りかけ、何とか応答してもらえるようになる。話を聴くと、すでに大変な事態となっている。しかし、もうすでに生命に関わるレベルで困窮しているという事態に本人が気づいていない。「まだ、大丈夫」は、やせ我慢ではなく、自分の状態がわかっていない、「ピンときていない」現実を示しているのだ。

 では、なぜ困窮者は「ピンとこない」のか。それこそが孤立が生み出すもう一つの深刻な事態なのである。人間は、「私」というものをどのように認識するのか。人間は他者を通じて自分を認識する。私たちは、直接的に自分を認識するのではなく、他者との出会いや他者との関係の中で間接的に私を知るのだ。このことが「伴走」を考えるうえで大切な前提となる。「自分のことは自分が一番よくわかっている」と私たちは考えている。しかし、本当にそうだろうか。たとえば、人は生涯にわたり自分の顔を直接見ることはない。顔は大きな情報源である。私たちは、相手の「顔色」や「顔つき」を見ることで、その人の状態を測る。しかし、自分自身においては、その情報源を見ることはかなわない。よって、私たちは鏡に写して自分の顔を見る。そうして最低限、自分に関する情報を得るのだ。この鏡に当たるものが「他者」である。私たちは、鏡に映して自分を見るように、他者を介して自分を知る。

 しかし、社会的孤立、無援の状態は、自分を映す鏡であるところの「他者」が不在であることを意味している。その結果、自己喪失状態を起こし、自分が現在困窮状況にあって、もはや誰かに助けを求めなくてはならないレベルであることさえ認識できないこととなる。支援を困難にさせるのは、本人の自己認識がないという現実そのものである。

 この国の社会保障制度は、「申請主義」を原則としてきた。困窮者本人が自ら申請することで制度を活用することができた。しかし、それは自分の困窮状態を認識しており、自分には今助けが必要であると判断できていることが前提であった(しかし、たとえ申請できても、不当に受け付けられない事態――水際作戦――も起こったが)。だが、社会的孤立という他者不在状況に置かれることによって自己認識が不能となり、そもそも申請さえしない困窮者が現れたのだ。

===== 引用おわり
 

出典

市民福祉大学主催 市民福祉セミナー
「助けてと言えるために ~子ども・家族MARUGOTOプロジェクトの報告~」
NPO法人抱樸 奥田知志 理事長 平成30119

奥田知志、稲月正、垣田裕介、堤圭史郎、
生活困窮者への伴走型支援-経済的困窮と社会的孤立に対応するトータルサポート
明石書店(2014)

2018年1月20日土曜日

(K0265)  絆は、傷を含む / 抱樸(2) <インクルーシブ社会>


講演を聞いて、私が思ったことである。
 

大震災の後、一頃、「絆」という言葉がさかんに聞こえてきた。
当時それが、軽々しく聞こえ、何か抵抗感があった。
「絆」という言葉自体は、良いと思うのだが。

何故「軽々しく聞こえ、何か抵抗感があった」のか、
少しわかったような気がした。
 

===== 配布資料 からの 引用はじめ
絆は、傷を含む。たとえ傷ついても抱いてくれる人がいるのか?
傷の再配分=社会は健全に傷つくための仕組み
===== 引用おわり


「人と人とが出合うと、必ず傷つく」。その通りだと思う。
人と人とが共にいると、必ず煩わしいことも起こる。

自分が傷つくこともあるし、意図せず相手を傷つけることもある。
誰も傷つかないための良い方法がある。誰とも付き合わなければよい。
誰とも付き合わなければ、煩わされることもない。
 

ご近所づきあいが少なくなってきている。
自治会活動なども、参加率が減る傾向にあるようだ。

傷つきたくないのだろう。煩わしいのは嫌なのだろう。
それでも、つながり合おうとするのが、「絆」ではないだろうか。
 

「傷の再配分」。あなたと関わり、私も傷つく。
そのことを通じて、相手の傷が少し楽になる。
これを通じてのみ、楽になるような傷もある。

対人関係のボランティアをする限り、
少し傷つく、あるいは、少し煩わしいのは、受け入れるしかない。
「健全に」傷つく。
 

「傷つき、煩わしさを背負って、被災者のなかに入る」ことをせず、
テレビカメラに向かって「絆、絆」と連呼する人がいた。

「絆」と言うこだけで、何もしないことの免罪符にしようとしている。

私はそう感じたので、抵抗感があったのだろう。
確かめたわけではない。考えすぎだったかもしれない。
 

「社会とは、赤の他人の為、健全に傷つく仕組みである」

なるほど。


出典
市民福祉大学主催 市民福祉セミナー
「助けてと言えるために ~子ども・家族MARUGOTOプロジェクトの報告~」
NPO法人抱樸 奥田知志 理事長 平成30119