2019年4月30日火曜日

(K0730) 「終わった人」になろう(石蔵文信) <定年後>

 
 「終わった人」になろう!と、石蔵文信さんは、いつものように変なことをいいます。
 

 『終わった人』は小説であり、映画にもなりました。

   内館牧子の小説。大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられそのまま定年を迎えた田代壮介。仕事一筋だった彼は途方に暮れた。妻は夫との旅行などに乗り気ではない。「まだ俺は成仏していない。どんな仕事でもいいから働きたい」と職探しをするが、取り立てて特技もない定年後の男に職などそうない(google books

   主演・舘ひろし。「第42回モントリオール世界映画祭」で最優秀男優賞、「第61回ブルーリボン賞」で主演男優賞に輝きました
 

 「終わった人(a)」とは、「会社人生が終わっているのに、管理職的な物言いや人付き合いだけが残って定年後に支障が出るような人」。
 
 だから、普通は「終わった人にならないようにしましょう」と言います。しかし、石蔵文信さんは「終わった人になろう」と言います。変ですね。
 

 終わった人になることはつらいことかもしれませんが、この際、昔の業績や地位などすべてを投げ捨てて(=「終わった人(b)」になる)、新しい人生を「始める人」になる方が得策だと思います。
 
 言い換えると、「終わった人(b)」になることによって、新しい人生を「始める人」になれ、その人は「終わった人(a)」にはならない。
 
 少し複雑ですが、その通りだと思います。
 

<出典>
石蔵文信、「終わった人」になろう
【山あり谷あり】 産経新聞(2019/03/25 )

(K0729)  口座管理のアプリ <高齢期の経済><脳の経済>

 
 テーマは、もう一回、高齢者特に認知症の人の財産を守る。


 「フィンテック企業」とい事業の在り方があるようだ。なかなかついていけない。

===== 引用はじめ
 IT技術を使った新たな金融サービス「FinTech(フィンテック)」。金融を意味する「Finance(ファイナンス)」と、技術を意味する「Technology(テクノロジー)」を組み合わせた造語です。
===== 引用おわり
https://news.cardmics.com/entry/whatis-fintech-matome/
 


 そのフィンティング企業の一つであるマネーフォワード(東京)が新しいアプリを開発している。

===== 引用はじめ
 金融とITを融合したフィンテック企業のマネーフォワード(東京)は、認知症の人の口座からの引き落としが一定額を超えたり、通常のパターンから逸脱したりして詐欺などが疑われる場合、子供に通知するアプリを開発中だ。
 同社は成本教授とアプリ開発で助言を受ける契約を締結。日常生活に必要なお金は、自由に使えるようにする。滝俊雄取締役は「監視ではなく、生きがいにつながる選択肢になれば」と話している。
===== 引用おわり
 
 これは、特に害はなさそうだ。
 

===== 引用はじめ
 課題解決に向けて3つの観点からのソリューションを模索してまいります。

1. 家計資産・収支の見える化:
 金融機関口座の分析と、適切な形での周囲への情報共有を通じて、安心を提供すること

2. 金融機関APIの活用:
 電子決済等代行業者等の第三者が情報を分析することで、本人の自己決定や生活支援のあり方に新たな付加価値をもたらすこと

3. 安心できる決済手段:
 キャッシュレス化が進展する中で、データの見える化の恩恵を受けつつ、使い過ぎや特殊詐欺などの犯罪被害を抑止できる決済手段およびそのツールを開発すること
===== 引用おわり
https://corp.moneyforward.com/news/release/corp/20181210-mf-press/
 

 だんだん、わかりにくい世界に入っていく。因みに、

===== 引用はじめ
 APIApplication Programming Interfaceの略であり、ソフトウェア同士が互いにデータをやりとりする際に用いられる、技術的な仕組みのことを指す。 ... 銀行のAPIを外部のアプリが活用する際、実務的には、預金者が外部のアプリに自分の銀行口座に関する一部の操作が可能な合鍵を作製する。
===== 引用おわり
https://japan.cnet.com/article/35102414/
 
 
 ITで高齢者の財産を守っていただけるのはありがたいが、高齢者に理解できない説明をされて、「あとは私たちに任せてください」と言われても、それはそれで不安になってしまう。
 


<出典>
認知症の人の財産を守れ 金融機関や医師ら連携、口座管理のアプリも
産経新聞(2019/04/19)
 
認知症の人の財産を守れ 金融機関や医師ら連携、口座管理のアプリも
https://www.sankei.com/life/news/190419/lif1904190007-n1.html

(K0728)  コルテム / 認知症の人の財産を守れ <高齢期の家庭経済><脳の健康>

 
 テーマは、前回と同じ、高齢者特に認知症の人の財産を守る。
 


 「金融機関や医師、法律家らが「コルテム」というネットワークをつくり、認知症の人の財産保護に加え、自分のお金を上手に管理できる仕組みづくりを模索する。」

 『コルテム』とは何者か。
 
===== 引用はじめ
 COLTEM(コルテム)
Collaboration center of Law, Technology and Medicine for autonomy of older adults
 
 高齢者の地域生活を健康時から認知症に至るまで途切れなくサポートする法学、工学、医学を統合した社会技術開発拠点
===== 引用おわり
http://www.shigakukan.ac.jp/information/topics/post_554.html
 


 「患者に治療の同意を得る手順を、金融機関で応用できないか」という発想らしい。
 
===== 引用はじめ
 「はい」や「いいえ」だけで答えると、高齢者が内容を本当に理解して契約しようとしているか把握が難しいと成本教授は説明。そこで手術など高度な治療の同意を得る時と同様に、金融商品の契約でも自分の言葉で内容を説明してもらったり、複数の人で本人の理解や意向を確認したりすることを提案する。
===== 引用おわり
 
 
 どうなのだろうか。私には、怪しげに見える。

 
 実際に認知症の人に「コルテム」を適用して何らかの答えが出たとする。しかし、それが正しいと、どうやって証明できるのだろうか。それが正しいかどうかを検証できないまま、「認知症の方のご意向は、…です」と決めつけてしまうことになるのではないだろうか。
 

 潤うのは誰か。法学、工学、医学。みんなが研究費をもらってハッピー。
 塩漬けになってしまいそうなお金が、この「コルテム」によって投資に使ってくれると、金融機関もハッピーになる。
 
 「コルテム」の判断によって投資して、それを誰が保証するのだろうか。研究者が責任を取るとは思えない。投資である限り、リスクは伴う。「この手法によって、本人の意思は確認したので、自己責任だ」と言い張るための根拠づくり(言い訳・言い逃れ)をしているのではないか。
 

 研究者が悪意をもっているとは思わない。「認知症の人やその家族の為に」という思いがあるのだろう。それでも私には、ひっかかる。
 認知症は、金づるにもなる。
 


<出典>
認知症の人の財産を守れ 金融機関や医師ら連携、口座管理のアプリも
産経新聞(2019/04/19)
 
認知症の人の財産を守れ 金融機関や医師ら連携、口座管理のアプリも


 
 

2019年4月29日月曜日

(K0727)  金融 高齢者対策 <高齢期の家庭経済><脳の健康>

 
 「金融 高齢者対策」として、何が必要か。

(1)  認知機能が低下した状態で契約していないか
(2)  預金口座凍結トラブル
(3)  高齢者を狙った犯罪の多発
 


(1)  認知機能が低下した状態で契約していないか
 金融機関は従来、75歳以上の顧客に投資商品を販売する際は役職者が面談するなど、年齢で画一的に対応してきた。ただ、活発に活動する人から認知症を患う人まで老化は個人差が大きい。
 
(2)  預金口座凍結トラブル
 親が認知症になり預金口座が凍結され介護や生活資金を引き出せなくなるトラブルは各地で起きている。
 
(3)  高齢者を狙った犯罪の多発
 高齢者を狙った犯罪が多発する中、協会では信頼して資産形成を相談できる高齢者対応の専門家を育成し資格認定したい考え。
 
 
 ここで、協会とは「日本金融ジェロントロジー協会」のこと
 
   野村ホールディングスと三菱UFJ信託銀行、慶応大学は高齢顧客へ対応強化に向けた新組織「日本金融ジェロントロジー協会」(*)を設立し、今月下旬に初の総会を開く。

   認知機能の低下といった年齢を重ねる影響を分析し、金融機関の適切な資産管理に生かすのが目的だ。

   会員向けの研修制度を今秋導入し、将来的には検定試験も実施する。

   研修では関連する法制度や認知機能低下の仕組み、医学的見地に基づき分かりやすく説明する技術などを学ぶ。

   協会では営業担当者が適切な知識に基づき「認知症のシグナル」を感じ取り、顧客の家族と対話することで、口座凍結問題を防ぐ備えができると考えている。
 
(*) ジェロントロジーとは人間の老化現象を医学や心理学など多面的に研究するもので「老年学」と訳す。
 
 
<出典>

認知症顧客など柔軟対応  金融 高齢者対策で新組織
産経新聞(2019/04/18)
 
「金融老年学」協会設立 高齢者対応の専門家育成
https://www.sankei.com/economy/news/190417/ecn1904170039-n1.html

(K0726)  まずは、かかりつけ医へ <脳の健康>

 
 認知症は、早く発見し、早く治療を開始することが大切だと言われています。治る認知症もあるし(*) 、治らないまでも進行を遅らせたり、症状を緩和することはできるようです。
 
(*) ===== 引用はじめ
 治るタイプの認知症
   正常圧水頭症(せいじょうあつすいとうしょう)
脳脊髄液(のうせきずいえき)が脳室に過剰にたまり、脳を圧迫します。
   慢性硬膜下血腫(まんせいこうまくかけっしゅ)
頭をぶつけたりしたときに頭蓋骨と脳の間に血の固まりができ、それが脳を圧迫します。
 
その他、脳腫瘍、甲状腺機能低下症、栄養障害、薬物やアルコールに関連するものなど
===== 引用おわり
http://sodan.e-65.net/basic/ninchisho/
 

 どこに行くか分からないまま、時間が経ってしまうことが多いようです。行先として、
 
(1)  物忘れ外来、認知症外来などと標榜(ひょうぼう)しているところへ行ってみるのも一つの方法ですが、

(2)  まずは普段、風邪や腹痛の時などに診(み)てもらっている医師(かかりつけ医)に相談するのが良いと思います。その人が認知症サポート医ということもありますし、自分で判断が難しいときは他の医師を紹介してくれるでしょう。診断を受けた後の日常生活のことを考えれば、近くのかかりつけ医とは懇意にしておくことが大切です。

(3)  元気でかかりつけ医などいない、という場合は、地域包括支援センター(京都市では高齢サポート、神戸市ではあんしんすこやかセンターなど市町村により名称が異なる場合も)に相談すれば情報を教えてくれます。
 
とのことです。
 

 因みに、神戸市では、

===== 引用はじめ
 神戸市では、認知症の発症初期から状態に応じて、かかりつけ医、認知症サポート医、認知症疾患医療センター(鑑別診断などを行う専門医療機関)や、あんしんすこやかセンター(地域包括支援センター)などが連携し、医療・介護が一体となった認知症の人への支援体制を構築しています。
 具体的には、認知症の人やその家族の方が、まずお住まいの地域のあんしんすこやかセンターや、かかりつけ医に相談いただき、相談に応じて「こうべ認知症生活相談センター」や「認知症疾患医療センター」に紹介し、必要な医療や介護につなげるしくみとなっています。
===== 引用おわり
http://www.city.kobe.lg.jp/life/support/carenet/ninchisyou/index.html
 


<出典>
まずは、かかりつけ医へ
【高見国生の認知症と歩む】(14) 産経新聞(2019/04/19)
 
【高見国生の認知症と歩む】(14)まずは、かかりつけ医へ
https://www.sankei.com/life/news/190419/lif1904190009-n1.html

2019年4月28日日曜日

(K0725)  お一人さまで「家で逝く」幸せな最期は存在する <臨死期>

 
 お一人さまで「家で逝く」こと自体は、悪でも不幸でもない。要は、どう暮らすかだ。言葉で説明されるよりも、事例で学ぶとイメージがわきやすい。
 
===== 引用はじめ
 実はこのじいさまとばあさまを比べると、興味深い共通点があります。最期までその人らしく家で暮らし、そのまま家で逝ったこと。
 短時間に経験した2人の看取りは、孤立死での死体検案一家団欒の中での死亡診断であり、一見すると対照的。おそらく、後者は誰もが大往生と思うでしょう。では、前者は気の毒な孤独死か?
 いえ。前者も決して悪くない最期だと、私には思えます。大家族に見守られ、感謝して逝くのはすばらしい。ですが、好きな酒を飲んで上機嫌、電話で子どもたち全員と笑ってしゃべって、しっかり電話団欒を堪能し、一人逝くのも案外悪くないと感じています。
===== 引用おわり
 

 前者の、じいさまの「決して悪くない最期」を見てみます。
 
===== 引用はじめ
 仏さまは70代男性。以前、私が診ていたじいさまでした。
 その4年前に母親が亡くなり、1年前には奥さんに先立たれ、子どもたちは遠方に暮らすため、じいさまは一人暮らしです。3年前、非常に珍しい難病を患い、私では対応できず、とある病院の専門医に紹介しました。以降、その病院に通い、最近は病状が安定して調子はよかったと聞いています。
 電話に出ないことを案じた子どもが、親戚に頼んで家に入ってもらうと、すでに冷たくなっていたようです。直後に救急車を呼ぶも、到着した救急隊は完全な死体と判断し、病院に搬送することなく、警察に連絡。 …
 … 死因は、嘔吐物を喉に詰まらせた窒息であり、治療中の病気との関連もなさそうです。

 前日に地区のお祭りがあり、楽しそうにかなりの量のお酒を飲み、その酔った勢いで、夜になって子どもたちに次々と電話して、たいそう機嫌よく笑って話したのが最後の会話だったとのこと。
 それがわかった時点で、改めて家の中を見渡すと、高齢男性の一人暮らしとは思えないくらい、きれいに整理整頓されています。これは想像ですが、数年のうちに母親と奥さんを亡くしたので、たとえ自分にその予兆がなくとも、自らの死を意識し、常に家の中をきれいにしていたのかもしれません。
===== 引用おわり
 
 確かに悲惨な印象はありません。いずれは死ぬ。その死ぬときが来た。ただ、それだけ。
 
===== 引用はじめ
 ともあれ、この2人の看取りを含め、私の経験では、人生の最期の段階で本当に大切なのは、家族形態や看取られる環境ではないような気がしています。
 大家族でも家族関係が悪ければ、逝き際でも家族にソッポを向かれることでしょう。逆に、お一人さまでも準備と覚悟があれば、物理的には1人でも、満足な家逝きができている。
 「本当に大切なものは目に見えない」とは『星の王子さま』に登場するキツネの名言ですね。家逝きも、本当に大切なのは目に見えている家族形態や自宅の環境ではなく、目に見えにくい”覚悟”と”準備”と”人間関係”ではないでしょうか。
===== 引用おわり
 


<出典> (前回と同じ)
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/お一人さまで%ef%bd%a2家で逝く%ef%bd%a3幸せな最期は存在する-孤立死%ef%bd%a5孤独死は必ずしも悲劇ではない/ar-BBW8riT?ocid=spartandhp#page=2

2019年4月26日金曜日

(K0724)  末期の桜 <臨死期>

 
 福井県にある高齢化率38%、人口2384人の旧名田庄村(現・おおい町)にたった一人の医師として赴任し、在宅医療、介護、看取りを支援してきた中村伸一氏は、大往生とは何かを考え続けてきた。
 
===== 引用はじめ
 名田庄では、お迎えが近づくと「次の桜は見られるやろか?」とよく問われます。厳しい冬を耐え、長く待ちこがれた春を迎える喜び、その象徴が”桜”。だから、無理な延命は願わないけれど、「あと何回、桜が見られるやろ?」と、桜が寿命のスケールになっているのです。それほど末期の桜には価値があり、実際に花を見て、大満足で逝く人々を看取ってきました。
===== 引用おわり
 


 その中村医師が「機器の管につながれた高度な医療よりも、はるかに心のこもった巧妙な医術に、感激やら感動で胸がいっぱいになりました」というエピソード。
 
===== 引用はじめ
 先生と看護師さんがいつものように診察に来られました。
 ベッドに横たわる主人の胸元30センチくらいの高さに、先生は握り拳を差し出し、「奥さん、手を貸してください」と私の手のひらを主人の胸の上に据えました。「エーッ! 先生、いつから祈祷師に??」と思いきや、「松本さん、桜ですよ」とおっしゃって、握った拳の指の隙間からヒラヒラと桜の花びらが私の手のひらと主人の胸の上に舞い落ちました。なんとも粋な計らいに、私は目頭が熱くなり、無心で落ちた花びらを主人の枕の上にちりばめていました。
 主人が臥してから3年目の身体は、3度目の桜を見せてあげられる状況にはほど遠く、諦めてはいたものの、桜の花が咲き始めてから、私の心中は穏やかではありませんでした。満開の桜から散り始めた花びらに「散らないで。お父さんは、まだ見ていないんだから」と呼びかけたいような複雑な思いで、日々、窓から見える桜を眺めておりました。そんな私の思いを、先生はいとも簡単に、さりげなく成し遂げてしまわれたのです。
===== 引用おわり
 

<出典>
お一人さまで「家で逝く」幸せな最期は存在する 孤立死・孤独死は必ずしも悲劇ではない
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/お一人さまで%ef%bd%a2家で逝く%ef%bd%a3幸せな最期は存在する-孤立死%ef%bd%a5孤独死は必ずしも悲劇ではない/ar-BBW8riT?ocid=spartandhp#page=2

2019年4月25日木曜日

(K0723)  認知症の介護をしてくれる家族・親族(2) <脳の健康><介護>

 
 前回からの続き。添付表は再掲。
X = 認知症の介護をしてくれる家族・親族が「誰もいない」人の割合
 

 特に深刻なのは、認知症になったとき、「介護してくれる家族は誰もいない」と回答した未婚者が男女ともに5割を超えたこと。
 
===== 引用はじめ
 認知症の高齢者数は、団塊の世代がすべて75歳以上となる2025年には約700万人と、65歳以上の高齢者の5人に1人となると予測され、さらに軽度の認知障害まで含めると、高齢者の3人に1人となると予測する研究者もいます。
 一方、50歳時点で一度も結婚をしたことのない人の割合である「生涯未婚率」の予測をみると、男性23.4%・女性14.1%(2015年)から、2040年には50歳になる男性の約3人のうちの1人、女性の約5人のうち1人が生涯未婚であると予測されています。
 これまでの単身高齢者の多くは配偶者に先立たれた妻や夫でしたが、今後は未婚の単身高齢者の増加が見込まれます。
 未婚者には子どもがおらず、配偶者と死別した単身高齢者よりも社会的に孤立しやすい状況にあります。
 近年は大都市だけではなく、地方においても近所づきあいが希薄化しており、このような面からも単身高齢者の社会的孤立の問題は深刻化しつつあります。
===== 引用おわり
 
 
 こうした切実な状況に対し、今後、どのような対策が必要?


===== 引用はじめ
 大都市だけではなく、近年は地方でも近所づきあいが希薄化しており、単身高齢者の社会的孤立や認知症をはじめとした介護の問題は全国的な課題と認識すべきです。
 対策としては、民間企業の協力を得ながら、見守りネットワークを再構築することが必要。
 さらには、単身高齢者の社会的孤立を回避し、できるだけ元気に生活し、介護を予防するためにも、地域社会に居場所を作ることが重要であり、「通いの場」(サロン)にもその役割が期待されます。
 とはいえ、未婚の認知症高齢者数が増加するのは確実なので、今後、社会的には受け皿施設の整備を、危機感をもって進めるべきであり、未婚者としても現役のうちに介護施設入居も見据えた介護費用の計画的な資金準備が避けられないでしょう。
===== 引用おわり
 


<出典>
未婚者の5割超が「認知症になったら、介護してくれる家族は誰もいない」解決策はあるのか
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E6%9C%AA%E5%A9%9A%E8%80%85%E3%81%AE5%E5%89%B2%E8%B6%85%E3%81%8C%E3%80%8C%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89%E3%80%81%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%AE%B6%E6%97%8F%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%E2%80%A6%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E7%AD%96%E3%81%AF%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B/ar-BBVV7Nc#page=2
 
認知症 介護してくれる家族 過半数「いない」
産経新聞(2019/04/05)

2019年4月24日水曜日

(K0722)  認知症の介護をしてくれる家族・親族(1) <脳の健康><介護>

 
X = 認知症の介護をしてくれる家族・親族が「誰もいない」人の割合
 
 このXの調査結果を添付に示す。元データでは、性別に提供されている。
 ここでは、平均と差について分析する。
 

A)   男女平均(aveX)

  伴侶・無(単身)は伴侶・有より、aveXが大きい  …  当然でしょう

  伴侶・無(単身)においては、未婚者は離別者(離婚や死別)より、aveXが大きい  …  離別者には子供がいることもあり、当然でしょう

  伴侶・有においては、子供・無は子供・有より、aveXが大きい  …  当然でしょう

 定性的には、調査をしないでも、容易に推測することができる。
 

B)   男女差(ΔX)

  伴侶・無(単身)においては、男女差ΔXが負である(男性の方が大きい)  …  伴侶・無なので、「家族・親族」は、兄弟姉妹や姪甥になるだろう。女性の方が、親戚関係を良好に保っているのではないだろうか

  伴侶・無(単身)においては、離別者は未婚者より、男女差ΔXが大きい(男性の方が大きい)。離別者には子供がいることもあり、母親が子供を養育することが多いので、子供に介護してもらえる可能性が父親よりも大きいのではないだろうか

  伴侶・有においては、男女差ΔXが正である(女性の方が大きい)  …  伴侶が介護するだろうと想定できる。妻は夫を介護するが、夫は妻を介護できないorしないケースがあるのではないだろうか

  伴侶・有においては、子供・無は子供・有より、男女差ΔXが大きい(女性の方が大きい)。子供・有の場合は父母にかかわらず子供が介護してくれるケースが多いが、子供・無の場合は子供に期待できないので、伴侶の介護力の差(妻は夫を介護できるが、夫は妻を介護できない or しない)が影響するのではないだろうか
 

<出典>
認知症 介護してくれる家族 過半数「いない」
産経新聞(2019/04/05)
 
元データは、明治安田総合研究所

2019年4月23日火曜日

(K0721)  個人Blog 4月中旬リスト <サイト紹介>

 
(若干ずれていますが)

● 個人Blog 4月中旬リスト
 


(1570)  マルクス・アウレリウス『自省録』(3-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2019/04/1570-3-2100de.html
 
(1571)  SNSで使う流行りの若者言葉
http://kagayaki56.blogspot.com/2019/04/1571-sns.html
 
(1572)  (番外編 1) 陸奥宗光『蹇蹇録』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.com/2019/04/1572-1-50.html
 
(1573)  ウッズの復活 人は再チャレンジできる
http://kagayaki56.blogspot.com/2019/04/1573.html
 
(1574) 「人望以前の人望」(イチロー)
http://kagayaki56.blogspot.com/2019/04/1574.html
 
(1575)  マルクス・アウレリウス『自省録』(4-1) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2019/04/1575-4-1100de.html
 
(1576)  いじめの背景に、共同体構築の失敗があるのではないか
http://kagayaki56.blogspot.com/2019/04/1576.html
 
(1577)  マルクス・アウレリウス『自省録』(4-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2019/04/1577-4-2100de.html
 
(1578)  (番外編 2) エルウィン・ベルツ『ベルツの日記』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.com/2019/04/1578-2-50.html
 
(1579)  人間関係 ~ 「do-基準」と「be-基準」
http://kagayaki56.blogspot.com/2019/04/1579-do-be.html
 


なお、前回の紹介は、
 
(K0711)  個人Blog 4月上旬リスト <サイト紹介>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/04/k0711-blog.html

(K0720)  売れない週刊誌 / このブログを考える <研究所・体制>

 
 「売れない週刊誌 おやじ系路線で生きる術なし」という見出しが気になった。
 
 このブログは、「少子高齢社会において、輝き続ける人生を全うすることを目指し、個人の発達と社会システムの構築を促します」を目指している。「おやじ系」で生きようとすると、「読まれないブログ」になってしまうのだろうか。
 

1.   輝いていた週刊誌

2.   週刊誌が読まれなくなった理由

3.   気を吐いていた『週刊文春』も、部数は減り続けている

4.   『週刊現代』と『週刊ポスト』は、生ネタを入れにくい

5.   最近の週刊誌動向

6.   自らが終活の道に進み始めた週刊誌

7.   どこに問題があるのか

8.   このブログの方向性
 


【展開】

1.   輝いていた週刊誌

 私(=著者・元木正彦氏。以下、同じ)が現代の編集長だった平成7年は、阪神・淡路大震災に見舞われ、続いて地下鉄サリン事件が起きた騒然とした年であった。
 情報を求めて読者は何冊も週刊誌を買い、むさぼるように読んでくれた。今思えば、この頃が週刊誌の黄金時代だったと思う。
 

2.   週刊誌が読まれなくなった理由

(1)  「新聞、テレビにできないことをやる」。これが出版社系週刊誌の存在理由である
(2)  週刊誌が読まれなくなった要因はいくつもある。だが、一番大きな要因は、週刊誌にしかできないテーマを見失ってしまったことと、週刊誌の最大の読者層であった団塊世代が年齢を重ね、定年、年金生活、高齢者になったことだと、私は思っている
 

3.   気を吐いていた『週刊文春』も、部数は減り続けている

(1)  多くの週刊誌が元気のない中、新谷学編集長率いる『週刊文春』だけがスクープを連発し、気を吐いた。特に、政治家から芸能人まで、これほど多いのかとあきれるほど「不倫」情報が毎週のように誌面に載った
(2)  だが、その文春砲にも陰りが出てきた。新谷編集長が交代したこともある。雑誌は編集長のものだから、同じ雑誌でも編集長が替われば中身も変わる。それに、あれほどスクープを放ったにもかかわらず、部数は減り続けている
 

4.   『週刊現代』と『週刊ポスト』は、生ネタを入れにくい

 現代と『週刊ポスト』は元々、木曜日校了で月曜日発売のため、生ネタは入れにくい。その上、人員や経費を削減されたから、現代は早々に事件やスクープを追うことを諦めたようだ。
 

5.   最近の週刊誌動向

(1)  私が現代の編集長だったとき、40歳前後だった読者平均が今は60歳前後だろう。その世代にターゲットを絞り、「死ぬまでSEX」「60歳を過ぎたら受けてはいけない手術」「飲んではいけない薬」と、性と健康に絞った企画をやり始めた
(2)  それが一段落すると、次に、団塊世代を親に持つ団塊ジュニアをターゲットにして、40年ぶりに大改正された相続法を詳しく解説する特集を始めた。それが当たったのだ。文春、新潮、女性誌までが相続特集をやり始めたのだ。これがロウソクの火が消える前の一瞬の輝きでなければいいが
 

6.   自らが終活の道に進み始めた週刊誌

(1)  おやじ系週刊誌が生き残る術(すべ)はもはやないと思う。団塊世代が後期高齢者になる2025年までだろう
(2)  だが、消えていく前に、今一度原点に立ち返り、不倫や密愛ではない、週刊誌にしかできないスクープを見せてほしいものである
(3)  週刊誌よ、自らが終活の道に進んでどうする
 

7.   どこに問題があるのか

 先日亡くなった作家の橋本治氏が自著『思いつきで世界は進む』(ちくま新書)で、おやじ系週刊誌は金の話とセックス記事ばかりで、社会で起きていることを伝える記事がほとんどなく、「閉じつつある自分のことしか関心が持てない」と嘆いている。
 

8.   このブログの方向性

 このブログでは、不倫もセックスも取り上げていない。健康やお金の話題に、たまに触れている程度だ。考えて見ると、このブログは「閉じつつある自分のことしか関心が持てない」に抗っている。実際にどの程度読まれるかはさておき、このブログの方向性に間違いはないと思った。
 


<出典>
元木昌彦、売れない週刊誌 おやじ系路線で生きる術なし
【iRONNA発】 産経新聞(2019/04/2)
 
【iRONNA発】売れない週刊誌 おやじ系路線で生きる術なし 元木昌彦氏
https://www.sankei.com/column/news/190422/clm1904220004-n1.html