2024年8月1日木曜日

(K1723)【余生論01】概念としての[前期・後期]余生

【 概念としての余生 】現在から平均寿命までを『余生』、健康寿命までを『前期余生』、それ以降を『後期余生』と定義します。若者にはよいが、高齢者に当てはめようとすると矛盾が出てきます。基本概念はこのままにして、次稿で定義を見直します。


 健康寿命という考え方があります。

 

===== 引用はじめ

健康寿命とは、心身ともに自立し、健康的に生活できる期間

 

 健康寿命が「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義されているため、平均寿命と健康寿命との差は、日常生活に制限のある「健康ではない期間」を意味します。2019年において、この差は男性8.73年、女性12.06年でした。

===== 引用おわり

https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/1160.html

 

 現在から平均寿命(男性:81歳・女性:87歳)までを『余生』、健康寿命(男性:73歳・女性:75歳)までを『前期余生』、それ以降を『後期余生』と定義します。

 

すると、

前期余生 =「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」

後期余生 =「健康ではない期間」

となります。

 

 30歳男性だと

余生:30歳~81歳、51年間

前期余生:30歳~73歳、43年間

後期余生:73歳~81歳、8年間 (四捨五入による誤差があります)

 

 30歳女性だと

余生:30歳~87歳、57年間

前期余生:30歳~75歳、45年間

後期余生:75歳~87歳、12年間

 

 若者ならこれでよいでしょうが(一般的な意味での「余生」とは違いますが)、高齢者に当てはめようとするとううまくいきません。

 例えば、

健康な75歳男性に、「あなたは後期余生です」と言い、

90歳女性に、「あなたはもう死んでいるので、余生はありません」と言うことになります。

 

 基本概念はこのままにするとして、高齢者用には、定義を見直さなければなりません。

 次稿では、「本論における余生」を説明します。




2024年7月31日水曜日

(K1722) 【余生論00】最後の長期計画の立て方  ~ 72歳からの14年計画

※ タイトルに【余生論00】を追記しました(2024/08/01)

 先週(7/25)、「男のサロン+(プラス)」で、「最後の長期計画の立て方 ~ 72歳からの14年計画」という話をしました。

趣旨は、

 今現在から死ぬまでの期間を「余生」と定義し、問題なく自立生活のできる「前期余生」と、外出が困難になる「後期余生」とに分けて考えます。

 後期余生では、衰えが進んでいきます。その衰えから目をそらすことなく、衰えていくことを前提として「最後の長期計画」を立てます。

 余生では、体の不自由さの増大と、余剰時間の増大が同時進行します。余剰時間をうまく使えば天国になり、失敗すると地獄になります。

 後期余生を輝きながら生き抜き、幸せなままに死んでいきたいものです。そのために、前期余生の一部を後期余生への移行期間として位置づけ、しっかりと準備していきましょう。

=====

  72歳の日本人男性の平均余命は、14年です。だから、これは死ぬまでの計画であり、だから、最後の長期計画になります。








2022年8月19日金曜日

お休み中

いつもお世話になり、ありがとうございます。

地域ブログに特化するため、お休み中です。

復帰時期は、未定です。

2022年3月6日日曜日

(K1721)【公開講座】「あなたの そばにいます」鍋島直樹講師 (3)

 【 鍋島直樹 ・ 仏の大悲】よく読むと、「仏の大悲を感知する」、「大悲にいだかれて」とあります。私が大悲を実践するのではない。大悲は仏のものであり、私の外にある。私の外にある大悲を私が感知し、私の外にある大悲に私がいだかれる


 公開講座「あなたの そばにいます~生きることの辛さ悲しさに寄り添う~」(鍋島直樹講師)を聴講しました(2022/02/26)

 

【仏の大悲】

 

===== 引用はじめ

  死と死にゆくことは、悲しくつらい。しかし死を通して人生の意味が問い直され、愛の大切さに気づき、生死を超えた仏の大悲を感知する時になる。

  大悲にいだかれて、人を孤独の中に置き去りにせず、最後まで人生を全うできるように支援し、死を超えてつづく愛を育んでいきたい。

===== 引用おわり

(再掲)

 

 よく読むと、「仏の大悲を感知する」、「大悲にいだかれて」とあります。私が大悲を実践するのではない。大悲は仏のものであり、私の外にある。私の外にある大悲を私が感知し、私の外にある大悲に私がいだかれるのである。

 

 日本大百科全書(ニッポニカ)「慈悲」の解説に「大慈、大悲、大慈悲というときは、仏や菩薩(ぼさつ)の慈悲を表す。」とありました。

https://kotobank.jp/word/%E6%85%88%E6%82%B2-74800

 

 また、「諸経論には、慈悲に(1)生きとし生ける者に対して起こすもの(衆生縁(しゅじょうえん))、(2)すべての存在は実体がないと悟り執着を離れて起こすもの(法縁(ほうえん))、(3)なんらの対象なくして起こすもの(無縁(むえん))の3種があり(三縁の慈悲)、このうち無縁の慈悲が無条件の絶対平等の慈悲であり、空(くう)の悟りに裏づけられた最上のもので、ただ仏にのみあるという。」とも書いてありました。

 (3)無縁の慈悲は仏にのみにあることを逆に読むと。(1) 衆生縁や(2) 法縁は、仏でなくてもあることになります。

 

===== 引用はじめ

(他者の苦痛をわがこととして)苦しむこと・嘆き悲しむこと〉から,〈同情・あわれみ〉を意味するようになった。仏陀の〈悲〉はとくに,〈マハー・カルナーmahā‐karuā(大悲・大慈悲)〉と呼ばれ,〈自分が,だれかに,どれだけのことをしてやる〉という,3条件を意識しない,〈無縁の大悲(無条件の大きな愛)〉だとされている。

===== 引用おわり

https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%82%B2-558165

 

 私は仏陀でないし、仏陀になろうともしていません。〈自分が,だれかに,どれだけのことをしてやる〉を意識してもよいのではないでしょうか。

 「大悲」は無理でも、「悲」なら到達できる。私のレベルでできるのは「生きとし生ける者に対して起こす」ので、これはこれでよいのではないでしょうか。

 

 ところで、では「悲」とは、何でしょうか。

 

【公開講座】あなたの そばにいます~生きることの辛さ悲しさに寄り添う~

講師: 鍋島 直樹 氏(龍谷大学文学部教授 神戸市真覚寺住職)

日時: 2022 2 26 日(土)、 3 5 日(土)

会場: 神戸市立総合福祉センター

  私は、226日に聴講しました。



(K1720) 侘びとか寂びは宗教ではない / 「 老人力 」(36)

 【 読書 ・ 老人力 】「キリスト教に限らず、だいたいの宗教が清貧はいいものだと教えている。アメリカ人だって物欲の後ろめたさが少しはあろうから、宗教からいわれたら少しは耳を傾ける」。宗教の力で、貧乏を「清貧」として受け入れる。


 「使い古したものに、えもいわれぬ味わいが生れる。そうやって物体に味わいをもたらす佗び力、寂び力というのは、物体の老人力なのだった」。日本人は、これを発見し、アメリカ人は発見できない。彼らはなぜできないのかと、考察が進む。

 

 「キリスト教に限らず、だいたいの宗教が清貧はいいものだと教えている。アメリカ人だって物欲の後ろめたさが少しはあろうから、宗教からいわれたら少しは耳を傾ける。」つまり、アメリカ人は宗教の力で、貧乏を「清貧」として受け入れる。

 「でも侘びとか寂びは宗教ではない。カテゴリーとしては趣味である」。だから、アメリカ人は、「宗教にいわれるから清貧までは理解する。でも侘び寂びはムリだ」ということになる。

 

===== 引用はじめ

 しかし貧乏問題はもう一度考え直す必要がある。貧乏はたしかにダメだけど、ダメな一方で味わいがある。ということを、しかし主張するのは難しい。みんな貧乏は嫌で、金には目が眩むから。

 というので、それを別の口調で、佗びとか寂びとか、あるいは清貧とかいってその入口を開けてきた歴史があるのである。

===== 引用おわり

 

 前回は、

(K1712) 再び「老人力」が見直されてもよい / 「 老人力 」(35)

http://kagayakiken.blogspot.com/2022/02/K1712.html

 

<出典>

赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.166



(K1719)【公開講座】「あなたの そばにいます」鍋島直樹講師 (2)

 【 鍋島直樹 ・ 大悲 】「愛のうちもっとも深いのが大悲です。慈悲も愛の一つであるが、何かをしてあげようとすることを含む」と説明がありました(録音をとっていないので不正確かもしれません)。私にとって印象の深い言葉でした。


 公開講座「あなたの そばにいます~生きることの辛さ悲しさに寄り添う~」(鍋島直樹講師)を聴講しました(2022/02/26)

 

【大悲】

 

===== 引用はじめ

  死と死にゆくことは、悲しくつらい。しかし死を通して人生の意味が問い直され、愛の大切さに気づき、生死を超えた仏の大悲を感知する時になる。

  大悲にいだかれて、人を孤独の中に置き去りにせず、最後まで人生を全うできるように支援し、死を超えてつづく愛を育んでいきたい。

===== 引用おわり

(再掲)

 

 一通りのお話が終わって、会場から「大悲」とは何ですかという質問がありました。辞書(精選版 日本国語大辞典)には「衆生の苦しみを救う仏の広大な慈悲」と書いているのですが、講師の回答は、少し違いました。

https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%82%B2-558165

 

 「愛のうちもっとも深いのが大悲です。慈悲も愛の一つであるが、何かをしてあげようとすることを含む」と説明がありました(録音をとっていないので不正確かもしれません)。今回の講演で、私にとって印象の深い言葉でした。

 

 私(=藤波)が思ったのは、「何かをしてあげる」ということが成立しなくても、「大悲」というのはあり得る、ということです。これは、救いです。なぜなら、「何かをしてあげる」として、例えば悲しんでいる人に声をかけるぐらいはできるのですが、それが本当に役に立っているかよく分かりません。こちらに意図があっても、効果までは保証できません。

 だから、「慈悲」はできるかどうかわからない。しかし、「大悲」すなわち「大いに悲しむ」は、相手に関わらず、効果があるかどうかにかかわらず、できます。自己完結になっています。あっ、人を愛するとき、大悲でいいんだと思ったら、ほっとしました。

 

 ただ、正確に言うと、大きな間違いをおかしていたこが、後でわかりました。

 

【公開講座】あなたの そばにいます~生きることの辛さ悲しさに寄り添う~

講師: 鍋島 直樹 氏(龍谷大学文学部教授 神戸市真覚寺住職)

日時: 2022 2 26 日(土)、 3 5 日(土)

会場: 神戸市立総合福祉センター

  私は、226日に聴講しました。



2022年3月3日木曜日

(K1718)【公開講座】「あなたの そばにいます」鍋島直樹講師 (1)

 【 鍋島直樹 ・ reflection 】「何故、私は今の研究をしているのか」と自ら問いかけた結果、「心のぬくもりを届ける」ことにより「最後まで人生を全うできるように支援」し、「死を超えて続く愛をはぐくんでいきたい」と考えているようです。


 公開講座「あなたの そばにいます~生きることの辛さ悲しさに寄り添う~」(鍋島直樹講師)を聴講しました(2022/02/26)

 

reflection

 

 講演は、”My reflection”の説明から始まりました。

===== 引用はじめ

  死と死にゆくことは、悲しくつらい。しかし死を通して人生の意味が問い直され、愛の大切さに気づき、生死を超えた仏の大悲を感知する時になる。

  私は院生の時、母が病気になり、「迷惑をかけてすまない。なぜこんな目に遭うのか」と呟く母に何も応えられなかった。僧侶として無力だった。反省して死の苦悩をかかえた人々に心のぬくもりを届けるような仏教研究を志した。25年間、母を自宅で看取った。逃げ出したくなる日も、母は優しく迎え、こちらを労い、浄土に往生した。看護の支援が生きる力となった。

  大悲にいだかれて、人を孤独の中に置き去りにせず、最後まで人生を全うできるように支援し、死を超えてつづく愛を育んでいきたい。

===== 引用おわり

 

 工学で“reflection”は「反射」を表すが、ここでは「省察、内省、沈思、熟考」の意味でしょう。「何故、私は今の研究をしているのか」と自ら問いかけ、その動機を「内省」したところ、「死の苦悩をかかえた人々に心のぬくもりを届ける」にたどり着いた。このようにして、自らの初心、深いところの志を確認したのでしょう。

 

 大学教授だから真理を追究しそうなものだが、「心のぬくもりを届ける」ことにより「最後まで人生を全うできるように支援」し、「死を超えて続く愛をはぐくんでいきたい」と考えているようです。実践的です。そのため、論文から文言を取り出し、それを組み立てるのとは別に、自らの体験を言葉にしているように思えます。自らの体験とは、どういうことがあったのか、どういう話を聞いたのか、そこで自分がどう感じ、どう思ったかです。

 

 私(=藤波)は、外からくる真理と、内からくる真理があるのではないかと思いました。私の場合は、どうしても知識を外からもらってきて、それを整理して「分かろう」とします。

 それは、悪いことではなく必要なことだが、それで十分ではないようです。自分のうちにうごめいている何かを「感じ取る」そして、それをとことん吟味し、言葉を探し、自分の言葉で表現することが、鍋島講師が大切にしている”reflection”ではないかと思いました。

 

【公開講座】あなたの そばにいます~生きることの辛さ悲しさに寄り添う~

講師: 鍋島 直樹 氏(龍谷大学文学部教授 神戸市真覚寺住職)

日時: 2022 2 26 日(土)、 3 5 日(土)

会場: 神戸市立総合福祉センター

  私は、226日に聴講しました。