【 読書 ・ 老人力 】日本でも成金の方たちが意識的にそういう風で、ちょっとでも古くなるとすぐ嫌う。古くなって擦り減ったのは即貧乏と考える。 … 古いのを貧乏と考える点で非常にアメリカ文化だ。とくに戦後の特徴。正しくは明治以降か。
「使い古したものに、えもいわれぬ味わいが生れる。そうやって物体に味わいをもたらす佗び力、寂び力というのは、物体の老人力なのだった。」「古いが故の快さ、人間でいうとボケ味、つまりダメだけど、ダメな味わいというのの出るところが老人力だ。」というところから話が進んでいる。
===== 引用はじめ
日本でも成金の方たちが意識的にそういう風で、ちょっとでも古くなるとすぐ嫌う。古くなって擦り減ったのは即貧乏と考える。成金には一山当てないとなかなか成れぬものだが、でも成金に憧れる人は多く、日本人一般がそうである。古いのを貧乏と考える点で非常にアメリカ文化だ。とくに戦後の特徴。正しくは明治以降か。
しかし貧乏問題はもう一度考え直す必要がある。貧乏はたしかにダメだけど、ダメな一方で味わいがある。ということを、しかし主張するのは難しい。みんな貧乏は嫌で、金には目が眩むから。
===== 引用おわり
私は、戦後の消費社会の到来が契機だと思う。戦中の何もない時代が終わり、戦後の復興で、日本は物質的に豊かになった。
経済を回すことにより豊かになることを経験した。古いものをどんどん捨てて、新しいものを買ってもらわないと、経済は回らない。そして、経済を回すことにより、新しい良いものを安価に手に入れられるようになった。それが消費社会だ。
著者は「古いのを貧乏と考える … 正しくは明治以降か」と言っているが、大正~昭和初期の民藝運動は、著者の言う「老人力」回復の動きだったのではないか。
「民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。当時の工芸界は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。そんな中、柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。」
GDO成長が鈍化し、コロナが追い打ちをかけた低成長時代の今日、再び「老人力」が見直されてもよいのではないか。
前回は、
(K1705) アメリカは老人力理解不能の国だと思う / 「 老人力 」(34)
http://kagayakiken.blogspot.com/2022/02/K1705.html
<出典>
赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.165 ~ P.166
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