2017年5月31日水曜日

(K0031) 絶望のどん底 / 新しい人生が始まった(7) <自立喪失からの脱却>


(K0015)から(K0020)にかけて「新しい人生が始まった(1~6) <自立喪失からの脱却>」シリーズを書いてきた。岸田ひろ実さんの『ママ、死にたいなら 死んでいいよ』を読んで、思ったことを書いた。該当するのは第3章までだった。これから書くのは、第4書を読んで思った続編である。

出来事としては、
「40歳 生存率20%の大手術。無事生還するも、下半身麻痺となり、車椅子生活に」

 
起こったことを整理すると

(1)  大動脈解離の治療として「心臓の血管を丸ごと人工血管に変える」という生存率20%という大手術を受け一命をとりとめたが、命を救うことを最優先して手術中に脳のある上半身に血液を集中させたため脊髄に集まる神経はすべて壊死、胸から下に麻痺が残り、自分の足で歩くことは一生できなくなった。すべてを失って「人ではなくモノになってしまった」気持ちだった

(2)  自分のこと以上に、年頃の奈美と障害のある良太のこれからを思うと、深い闇の底へ沈んでいくようだった

(3)  とにかく車いすでも何でも一人で動けるようになりたいと、機械を使って身体を起こす訓練を受けたが、下半身が麻痺して血液が心臓に戻りにくくなっているので貧血となり、三分もしないうちに気を失った。リハビリは、歩けないことを思い知らされるむごい儀式でしかない。身体も心も疲れてヘトヘトだった

(4)  障害名は、胸髄損傷による両下肢機能全廃、身体障害等級は最も重い一級

(5)  褥瘡(床ずれ)が悪化し、整形外科の大手術を二回も受けた。手術の前後三か月間は、自分の意志では顔も動かせない状態だった。悲しさやもどかしさは、猛烈な自己嫌悪に変わった。社会から遠ざかっていく。何をするにも他人に迷惑がかかる。誰からも必要とされない自分。「私って、生きている意味はあるのかな…」

(6)  娘とともに車椅子に乗って街に出かけたが、バリアが多く、思うように動けない。他人の視線も気になる。「ああ、かわいそうな人なんだな」と言われているような被害妄想に取りつかれていた。車椅子があっても、現実はなんともならない。「もう無理」と泣き崩れた

 
すべての希望を立たれた気分。絶望。この言葉以外にはない。


 
岸田ひろ実さんは、意志が強く、実行力もある。これまで大きな困難を乗り越えてきた。

それでも、この絶望から一人で立ち直るのは難しいのではないか。どのように絶望と向かい合えばよいのか。どのように絶望から立ち上がれるのか。

 

引用:岸田ひろ実、「ママ、死にたいなら 死んでいいよ」~娘のひと言から私の新しい人生が始まった~、致知出版(2017)

 

案内:2017/6/8 <岸田ひろ実さんを囲む会>1900開演、隆祥館書店(大阪中央区)
http://atta2.weblogs.jp/ryushokan/2017/05/201768-%E5%B2%B8%E7%94%B0%E3%81%B2%E3%82%8D%E5%AE%9F%E3%81%95%E3%82%93%E3%82%92%E5%9B%B2%E3%82%80%E4%BC%9A-%E4%BC%81%E7%94%BB160.html

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