2019年6月5日水曜日

(K0766)  避けることのできない「生死の選択」(5) <臨死期>

 
(6)  最後に
 
 答えは無い。それでも「避けることのできない生死の選択」について真剣に、繰り返し繰り返し考えねばならない。家族のことを考えると家族と話し合っておくことも必要でしょう。たくさん、話し合っておく必要があるでしょう。
 
 家族を失ったときの悲嘆。これは、死ぬ前にどれだけたくさんお話をできたかにより、軽くもなり重くもなるそうです。
 


 私自身は、「やるべきことはやった。し残しがないではないが“もういいわ”。後に残る人、よろしく」と、余計な措置は受けずに、枯れるように死んでいければいいんじゃないかなと、今のところ思っています。
 
 ただ、自分が死ぬ間際にどう思うか、今の私にはわかりません。だから、リビングウイルは書きません。
 

 意思表示できないときに備えて、今書いておくべきだと説得されることもあります。
 
 私は、家族と十分話し合っておきたいと思います。それができていれば、家族は私が何を欲しているか多分、分かると思います。その時の状況を踏まえ、それと家族自身の思いとをかけあわせ、判断してもらったらよいでしょう。私は、その判断に委ねたい。家族が決断したら、それは私の決断でもあります。「こうして欲しい」と言葉で書くよりも、お互いがわかりあえる(あの人ならこう思うに違いない)ことのほうが大切だと思います。判断には様々な前提条件があり、それを予め予見することは不可能でしょう。
 


 このシリーズ、終わり。

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