2017年6月3日土曜日

(K0034) 奇跡が起こった条件 / 新しい人生が始まった(9) <自立喪失からの脱却>


奇跡が起こった条件と過程を整理する


(1)  できることはすべてして、どん底に落ちた

 これについては、(K0031)で整理した

 

(2)  他者(娘)のひと言で、囚われから解放された ~ 強制的選択を避ける

===== 引用はじめ
 死んでもいいよと許されたことで、不思議なことに「死にたくない」という思いが湧き上がってきたのです。

 良太を生んで産んで途方に暮れた時、主人から「育てなくてもいい」と言われたことが脳裏をよぎりました。
===== 引用おわり

 このメカニズムについては、(K0016)で述べた。

 「死んではいけない」という囚われがあると、自由に考えられなくなり、「死んではいけない」という結論を出せない。しかしこの囚われから脱した時、すなわち、「死んでもいいし」「死ななくてもいい」と自由に考えられるようになった時、本能の声が解き放たれた。「死にたくない」

 
 
(3)  突き放されたのではなく、寄り添われている

===== 引用はじめ
「ママがどんなにつらい思いで病院にいるか、私は知っている。死んだ方が楽なくらい苦しいこともわかっている。なんなら一緒に死んであげてもいいよ」

 奈美の目には、固い決意が宿っていました。

「でも、逆を考えてよ。もし私がママと同じ病気になったら、ママは私のことが嫌いになる?面倒くさいと思う?」

「…思わないよ」

「それと一緒。ママが歩けなくてもいい。寝たきりでもいい。だってママに代わりはないんだから。ママは二億パーセント大丈夫。私を信じて、もう少しだけ頑張って生きてよ」
===== 引用おわり

短い文章の中に、たくさんのメッセージが込められている

   「死んだ方が楽なことくらい苦しいことも分かっている」 … いわゆる共感だが、「私が手術を望んだせいで、ママは死ぬよりつらい思いをしているのだ」と気づいたことによる苦しみが娘の中にあるので、まさに共感しているのだろう
   「なんなら一緒に死んであげてもいいよ」奈美の目には、固い決意が宿っていました … 明らかに共感を超えている。
   「私はママのことを嫌いにならない。面倒くさいと思わない」 … 「逆を考え」ることにより、説得力がある

どうみても、突き放されていない。寄り添われている

 
 
(4)  尊厳に呼びかけられた

   「ママが歩けなくてもいい。寝たきりでもいい」 … 今のままでいいと言っている。変わらなくてもいいと言っている。「今のママ」を無条件に肯定している
   「だってママに代わりはないんだから」 … かけがえのないママ

これらは、全て尊厳に呼び掛けていると私は思った。

 

(5)  「尊厳ある生死」「心の自立度」「生活の自立度」がそろっている

(K0030)で私は次のように書いた。

  「尊厳ある生」「尊厳ある死」(以後はまとめて「尊厳ある生死」)によって、輝き続ける人生を全うすることができるだろう
  「尊厳ある生死」を実現するために、「心の自立度」「生活の自立度」の二つが必要だろう

「尊厳ある生死」は、(4)で呼び覚まされた。

 
(K0030)で私は「心の自立度」について、次のようにも書いた。

   「心の自立度」を「私は私らしくあり、私の事は私が適切に決める」状態である
   「心の自立度」は、変化させるすべての力の源泉になる
   「心の自立度」が良い状態なら良いことが起こり、悪い状態なら悪い事が起こる
   「尊厳ある生死」は、「心の自立度」がないと実現できない

「心の自立度」は、(2)で呼び覚まされている。

 
「生活の自由度」については、次回、出てくる

 

(6)  絶望に対する光がともされてた

「ママは二億パーセント大丈夫。私を信じて、もう少しだけ頑張って生きてよ」
ここには、光に関する二つのメッセージがある

   「ママは二億パーセント大丈夫」 … 言葉として意味不明だし、根拠もない。しかし、そもそも「絶望」も必ずしも根拠はなく、それでいて心の中で増大する。それに対抗できるのは光であり、それに根拠は必要ない
   「私を信じて」 … これもまた、信じて大丈夫だという根拠がないが、この根拠も要らない。要るのは光に向かって行く時に寄り添ってくれる人であり、それは信じてよさそうである

 

(7)  リセットした

===== 引用はじめ
 予想だにしない選択肢を与えられたこと、押し殺していた本当の気持ちを話せたことで、私の言葉は空っぽになりました。すべてが一度、ゼロに戻りました。

 私の生き方や考え方が大きく変わったのはそれからです。
===== 引用おわり

 

(8)  寄り添ってくれる人がいた

 以上の多くの項目とオーバーラップしている。大きな絶望から一人で回帰するのは、難しい。夫と娘が寄り添ってくれたことが大きい。これは他人任せではない。寄り添ってくれる人が忽然と現れる者ではない。それまでの人生で、自ら誰かにどれだけ寄り添ってきたかが、関わる。

 

以上、本の事例から分析した。項目のみを寄せ集めると次のようになる。

(1)  できることはすべてして、どん底に落ちた
(2)  他者のひと言で、囚われから解放された ~ 強制的選択を避ける
(3)  突き放されたのではなく、寄り添われている
(4)  尊厳に呼びかけられた
(5)  「尊厳ある生死」「心の自立度」「生活の自立度」がそろっている
(6)  絶望に対する光がともされた
(7)  リセットした
(8)  寄り添ってくれる人がいた

これらの項目からは、個別性が全てなくなっている
深い絶望から回帰するための、一般的なメニューになっていると思う。

 

(前出)

引用:岸田ひろ実、「ママ、死にたいなら 死んでいいよ」~娘のひと言から私の新しい人生が始まった~、致知出版(2017)

案内:2017/6/8 <岸田ひろ実さんを囲む会>1900開演、隆祥館書店(大阪中央区)
http://atta2.weblogs.jp/ryushokan/2017/05/201768-%E5%B2%B8%E7%94%B0%E3%81%B2%E3%82%8D%E5%AE%9F%E3%81%95%E3%82%93%E3%82%92%E5%9B%B2%E3%82%80%E4%BC%9A-%E4%BC%81%E7%94%BB160.html

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