奇跡が起こった条件と過程を整理する
(1) できることはすべてして、どん底に落ちた
これについては、(K0031)で整理した
(2) 他者(娘)のひと言で、囚われから解放された ~ 強制的選択を避ける
===== 引用はじめ
死んでもいいよと許されたことで、不思議なことに「死にたくない」という思いが湧き上がってきたのです。
良太を生んで産んで途方に暮れた時、主人から「育てなくてもいい」と言われたことが脳裏をよぎりました。
===== 引用おわり
このメカニズムについては、(K0016)で述べた。
「死んではいけない」という囚われがあると、自由に考えられなくなり、「死んではいけない」という結論を出せない。しかしこの囚われから脱した時、すなわち、「死んでもいいし」「死ななくてもいい」と自由に考えられるようになった時、本能の声が解き放たれた。「死にたくない」
(3) 突き放されたのではなく、寄り添われている
===== 引用はじめ
「ママがどんなにつらい思いで病院にいるか、私は知っている。死んだ方が楽なくらい苦しいこともわかっている。なんなら一緒に死んであげてもいいよ」
奈美の目には、固い決意が宿っていました。
「でも、逆を考えてよ。もし私がママと同じ病気になったら、ママは私のことが嫌いになる?面倒くさいと思う?」
「…思わないよ」
「それと一緒。ママが歩けなくてもいい。寝たきりでもいい。だってママに代わりはないんだから。ママは二億パーセント大丈夫。私を信じて、もう少しだけ頑張って生きてよ」
===== 引用おわり
短い文章の中に、たくさんのメッセージが込められている
①
「死んだ方が楽なことくらい苦しいことも分かっている」 … いわゆる共感だが、「私が手術を望んだせいで、ママは死ぬよりつらい思いをしているのだ」と気づいたことによる苦しみが娘の中にあるので、まさに共感しているのだろう
②
「なんなら一緒に死んであげてもいいよ」奈美の目には、固い決意が宿っていました … 明らかに共感を超えている。③ 「私はママのことを嫌いにならない。面倒くさいと思わない」 … 「逆を考え」ることにより、説得力がある
どうみても、突き放されていない。寄り添われている
(4) 尊厳に呼びかけられた
①
「ママが歩けなくてもいい。寝たきりでもいい」 … 今のままでいいと言っている。変わらなくてもいいと言っている。「今のママ」を無条件に肯定している
②
「だってママに代わりはないんだから」 … かけがえのないママ
これらは、全て尊厳に呼び掛けていると私は思った。
(5) 「尊厳ある生死」「心の自立度」「生活の自立度」がそろっている
(K0030)で私は次のように書いた。
・ 「尊厳ある生」「尊厳ある死」(以後はまとめて「尊厳ある生死」)によって、輝き続ける人生を全うすることができるだろう
・ 「尊厳ある生死」を実現するために、「心の自立度」「生活の自立度」の二つが必要だろう
「尊厳ある生死」は、(4)で呼び覚まされた。
(K0030)で私は「心の自立度」について、次のようにも書いた。
・
「心の自立度」を「私は私らしくあり、私の事は私が適切に決める」状態である
・
「心の自立度」は、変化させるすべての力の源泉になる・ 「心の自立度」が良い状態なら良いことが起こり、悪い状態なら悪い事が起こる
・ 「尊厳ある生死」は、「心の自立度」がないと実現できない
「心の自立度」は、(2)で呼び覚まされている。
「生活の自由度」については、次回、出てくる
(6) 絶望に対する光がともされてた
「ママは二億パーセント大丈夫。私を信じて、もう少しだけ頑張って生きてよ」
ここには、光に関する二つのメッセージがある
①
「ママは二億パーセント大丈夫」 … 言葉として意味不明だし、根拠もない。しかし、そもそも「絶望」も必ずしも根拠はなく、それでいて心の中で増大する。それに対抗できるのは光であり、それに根拠は必要ない
②
「私を信じて」 … これもまた、信じて大丈夫だという根拠がないが、この根拠も要らない。要るのは光に向かって行く時に寄り添ってくれる人であり、それは信じてよさそうである
(7) リセットした
===== 引用はじめ
予想だにしない選択肢を与えられたこと、押し殺していた本当の気持ちを話せたことで、私の言葉は空っぽになりました。すべてが一度、ゼロに戻りました。
私の生き方や考え方が大きく変わったのはそれからです。
===== 引用おわり
(8) 寄り添ってくれる人がいた
以上の多くの項目とオーバーラップしている。大きな絶望から一人で回帰するのは、難しい。夫と娘が寄り添ってくれたことが大きい。これは他人任せではない。寄り添ってくれる人が忽然と現れる者ではない。それまでの人生で、自ら誰かにどれだけ寄り添ってきたかが、関わる。
以上、本の事例から分析した。項目のみを寄せ集めると次のようになる。
(1) できることはすべてして、どん底に落ちた
(2) 他者のひと言で、囚われから解放された ~ 強制的選択を避ける(3) 突き放されたのではなく、寄り添われている
(4) 尊厳に呼びかけられた
(5) 「尊厳ある生死」「心の自立度」「生活の自立度」がそろっている
(6) 絶望に対する光がともされた
(7) リセットした
(8) 寄り添ってくれる人がいた
これらの項目からは、個別性が全てなくなっている
深い絶望から回帰するための、一般的なメニューになっていると思う。
(前出)
引用:岸田ひろ実、「ママ、死にたいなら 死んでいいよ」~娘のひと言から私の新しい人生が始まった~、致知出版(2017)
案内:2017/6/8
<岸田ひろ実さんを囲む会>19:00開演、隆祥館書店(大阪中央区)
http://atta2.weblogs.jp/ryushokan/2017/05/201768-%E5%B2%B8%E7%94%B0%E3%81%B2%E3%82%8D%E5%AE%9F%E3%81%95%E3%82%93%E3%82%92%E5%9B%B2%E3%82%80%E4%BC%9A-%E4%BC%81%E7%94%BB160.html
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