第3章に関するコメントを書いていなかった。
「37歳 最愛の夫が突然死。心の支えを失う」
に関連する部分であるが、ページ数は多くない。
長男の知的障害や自分の下半身麻痺については、しなければならないことが多くあったが、夫の死については、諸手続きはあるものの行うべき行動は少なく、心の整理が中心だったようである。
印象に残ったのは2点である。
(1) 感謝とお詫びの気持ちは、絶対に先延ばしせず、感じたその場ですでに伝えること
(2) 主人は私の中で生き続けてくれること
<各論>
(1) 感謝とお詫びの気持ちは、絶対に先延ばしせず、感じたその場ですでに伝えること
===== 引用はじめ
次から次に思い浮かんでくるのは「あの時ちゃんと伝えられていたっけ?」という疑問でした。
私は意外と、自分の正直な気持ちを主人に伝えられていなかったのです。
それは苦い後悔へと変わりました。
===== 引用おわり
(2) 主人は私の中で生き続けてくれること
この言葉には、二重の意味が込められていると、私は思う。
妻にとっては、自分の心の中に夫が生き続けてくれる。
夫にとっては、妻の心の中に自分は生き続けることができる。
もう二種類、生き続ける方法がある。
功績として好き残る。生きていた証は、痕跡として残り、そこに私が生き続ける。自然と一体になり、自然の一部として私が生き続ける。
死の恐怖の一つは、自分が無くなってしまうことだろう。
西方極楽浄土に生まれ変わる人はそれでよし。西方極楽浄土に生まれ変われなくても、あるいは、そもそも西方極楽浄土というものが無くても、大丈夫。生き続ける術はある。
(前出)
引用:岸田ひろ実、「ママ、死にたいなら 死んでいいよ」~娘のひと言から私の新しい人生が始まった~、致知出版(2017)
案内:2017/6/8
<岸田ひろ実さんを囲む会>19:00開演、隆祥館書店(大阪中央区)
http://atta2.weblogs.jp/ryushokan/2017/05/201768-%E5%B2%B8%E7%94%B0%E3%81%B2%E3%82%8D%E5%AE%9F%E3%81%95%E3%82%93%E3%82%92%E5%9B%B2%E3%82%80%E4%BC%9A-%E4%BC%81%E7%94%BB160.html
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