前回(K0162)、「認知症カフェの課題」について書いたが、今回は、子ども食堂と比較しながら、認知症カフェを検討する。
子ども食堂には、いくつかのタイプがあるが、貧困問題と関連して注目を浴びた。しかし、次のような現実がある。
===== 引用はじめ
多くの子ども食堂は、「貧困状態にある家庭向け」というラベルがあると、参加し難くなるために目的をあまり強調しないようにして、誰しもが参加しやすい食堂づくりを目指しています。===== 引用おわり
https://children.publishers.fm/article/12350/
認知症カフェにおいても、その看板を掲げると、そこに通う人は、認知症(または、その家族)であると、自他ともに認めることになるのではないか。すると「私は認知症ではない」と思っている人にとっては、行くべき場所でない、また、行きたくない場所になってしまう。「私は認知症です」と認めた人しかいけない場所になってしまう。
そうは云っても「誰しもが参加しやすい認知症カフェを目指して」、認知症カフェの看板を下ろすと、それは従来からある高齢者居場所になってしまうと同時に、若年性認知症は行けなくなる。
二つのアプローチがあるのではないか。
(1) あくまで「認知症」の看板は掲げたままで、認知症になることを不安に思っている人や認知症予防対象者(=認知症ではない)、軽度認知障害(MCI)、若年性認知症も含め、気楽に立ち寄れて役に立つ場を目指す
(2) 高齢者居場所の認知症カフェ化:今は認知症のいない高齢者居場所であっても、何年も運営していると、参加者の中には認知症を帯びてくる人もでてくる。その人たちが継続して参加できる環境を整備できるなら、そこは、理想的な認知症カフェになるのではないか。認知症になった人も急に連れてこられたのではなく、従来からつながりのある人たちに囲まれて過ごせるので安心して過ごせる。また、認知症になっていない人にとっては、認知症の姿を見ることは参考になるし、認知症との付き合い方も学べ、家族などに事前に伝えることもできる。
このシリーズ、とりあえず終わり。
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