2017年8月11日金曜日

(K0101) 高齢者が減るから難しい <システムの構築>


 昨日(8/10)、NPO法人福祉ネットワーク西須摩だんらん 主催の「きょういくきょうようカフェ」に参加した。テーマは「教えて、介護保険のこと」だった。

 その中で「高齢者が増えるから難しい」という発言があり、そのまま話は流れていったが、私は「高齢者が減るから難しい」のだろうと思った。ただ、時間がなかったし、「介護保険」から話が大きいほうにずれとしまうので、発言はしなかった。私の思ったことを以下に書き留めておく。

 

 いつものとおりだが、団塊の世代の塊の影響が大きい。高齢者の数が増えてきて、それに対応しきれないのが問題視され、だから「高齢者が増えるから難しい」と皆思っていて、それは、まちがいではない。

 しかし、もう少し長い時間的なスパンで見ると、違ったものが見えてくる。「ピークが来て、ピークが過ぎ去っていく」という観点である。


 高齢者が増えて、それに合わせて関連施設を作ると、高齢者が減った時に困ってしまうということである。

 施設は、一度作ってしまうと、使わなくても維持費がかかる。それが嫌なら、たくさんお金を使って作ってきた施設を、まだ使えるのに捨て慣れればならない。ただ、捨てる(施設を壊して更地に戻す)のにも、莫大な金がかかる。

 施設だけではなく、関連して働いていた人も大量に解雇しなければならなくなる。人手が足りないと東南アジアから助けに来てくれた人に「帰ってください」と言っても、そう簡単には帰らないだろう。しかし、彼らが日本にとどまり続けると、今度は日本の社会保障費を使うことになる。助けてくれた人に無礼なことはできない。

 

 つまり、高齢者のピークが終わった後、大不況が来る。高齢者を重荷としかとらえられていないようだが、彼らは大きな需要と雇用を生んでいる。今、気づいていなくても、その時になったら、そのありがたみが身に沁みるはずである。でも、その時に気づいても、遅い。
 

 その「後遺症」を和らげるためには、ピークに合わせてはいけないことになる。たとえば、ピークの9割に抑える。

 大きなところで、医療、介護、火葬場である。それらの供給を9割に抑制するということは、1割ははみ出すということである。1割の人は、必要な医療、介護、火葬を受けられなくなる。多分、医療、介護は、質を9割に落として、全員が受けられる方向にいくしかないだろう。

 しかし、火葬は、9割焼いておしまいというわけにはいかない。おごそかな別れは我慢してもらって工場のベルトコンベア式でどんどん機械的に焼いていくとか、一つの炉で(見ず知らずの人と)「二人同時に焼けば3割引き」にしますとか、それでも足りないので「火葬を待つまで冷凍保存しますよ」というサービスもでてくるかもしれない。「火葬場を予約してしまったから、予定より長生きしてもらっては困る、早く逝ってよ」と急かされるかもしれない。いずれにせよ、私が死ぬ頃には、「火葬場難民」として悩まされそうだ。

 

 時間的なスパンを考えると、ピークにあわせて施設・システムを準備するのは「正解」ではないと思う。それをしてしまうと、後世に大きな負担を残す。そういうわけにはいかない。

 ピークに合わせてもらえない、それでも、なんとか「やりくり」していかなければならない。「高齢者が減る」から、悩ましいのである。

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