7月に105歳で死去した聖路加国際病院(東京)名誉院長、日野原重明さんの言葉である。
日本赤軍から解放されて韓国の金浦空港の土を靴底で踏んだとき、「これからの人生は与えられたものだ。誰かのために使うべきだ」と感じたという
http://president.jp/articles/-/9320このサイトから、写真を転載した。また、
「よど号ハイジャック事件」転載は、Wikipediaより。
日野原重明さんが17年連載していた名物エッセー「生きかた上手」の最終回が載ったシニア女性向けの月刊誌「ハルメク」の9月号が10日、発売された。
http://magazine.halmek.co.jp/subscription/201709/number.html
偶然乗り合わせ、人質となった「よど号ハイジャック事件」(1970年)を振り返る内容で、「人生における最大のターニングポイント」だったとしている。
===== 引用はじめ
事件で4日間も機内に拘束された日野原さんは解放されたとき「月から還ってきたアポロ(宇宙船)の乗組員のような気持ちでした」とつづる。事件をきっかけに野心や欲が消え「この美しい世の中のために何かをしたい、と心から思った」と記し、ターニングポイントを「どのように受け止めるかで、人生の意味は変わってくる」と読者にアドバイスしている。===== 引用おわり
日野原さん最後のエッセー 「よど号、人生最大の事件」、産経新聞(2017/08/08 夕刊)
http://usfrontlinenews.com/?p=22107
よど号に乗り合わせるような大事件に遭遇することは、
確率を考えると、まず起こらないだろう。
でも、「私のターニングポイント」は誰にもあるのではないだろうか。
小さな事件でも、大きなターニングポイントになりえる。
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