2017年8月16日水曜日

(K0108) 早川 一光医師による「住民による住民のための地域医療」 <地域の再構築>


7/19Facebook(928)に、Facebook友達の安東安秀さんから、「京都の早川 一光(京都のわらじ医者)先生と何度かお会いすることがあり、素晴らしいお話を聞き勉強する機会がありこの言葉が心に焼きついています。」というコメントをいただいた。

(注)「この言葉」=「死に方は生き方で決まる」(故 日野原重明 聖路加国際病院名誉委員長)

 

早川 一光 先生? と思ったのだが、調べてみたら、先生に関して読んだことがあった。

テキストを読み直してみた。

 

終戦直後、「貧困のどん底で、医者にかかりたくてもかかれない」という状況の京都西陣で、住民が立ち上がり、それに共感する医師たちとスクラムを組み、「住民による住民のための地域医療」を築いていった運動があった。早川 一光(かずてる)先生は、その中心人物であった。

「医療機関による患者のための患者の医療」が普通の感覚だろう。これを覆したのだ。

 

世の中の動きとしては、20004月から、介護保険制度がスタートした。

===== 引用はじめ(P.71

 … つまり、保険制度とは、顔の見えない人同士の無関心の中にこそ成立する連帯システムなのです。

 そのような保険制度 - 介護保険制度 - によって、高齢者福祉を実現する、これに異存はありません。しかし、同時に、高齢者介護が、介護される人と介護する人の間の顔の見える関係、いいかえれば、双方の強い相互関心の中で行われる営みであることを忘れてはならないでしょう。無関心の中の連帯システム - 介護保険制度 - は必要だとしても、それと併せて、相互関心(暖かい気づかい)の中の連帯システムも必要です。しかし、家族介護という連帯システムに、多くを期待することはできません。

 だとすれば、高齢者介護を軸とした地位づくりに取り組むことが、改めてクローズアップされてきます。いかにして、高齢者に優しい地域(コミュニティ)をつくっていくか、より直截にいえば、高齢者が安心して暮らせる地域、安心してボケられる地域を、いかにしてつくっていくかというテーマが突き付けられているのです。

===== 引用おわり
杉万俊夫、「第3章 医療システム論的アプローチ」、城仁士、『do for から do withへ 高齢者の発達と支援』、ナカニシヤ出版(2009)
写真は、ここから転載。

 

1958年に、堀川病院(医療法人西陣健康会)がオープンした。竹澤徳敬院長と早川一光副院長という体制の下、素晴らしい実績を多く積み上げたが、やがて組織は理想から離れ、19933月末、早川先生は辞表を提出、自らが住民とともに創立した病院を後にした。

 その後、堀川病院は「普通の病院」として、今も地域住民の健康を守っている。また、「住民のための医療」は「当院の原点」として、引き継がれている。
http://www.horikawa-hp.or.jp/about/

 

===== 引用はじめ(P.86 – P.87
 しかし、戦後約半世紀にわたって展開された住民運動の火が消えてしまったわけではありません。西陣で展開された50年の住民運動は、風に乗るタンポポの種のように、次の世代、次の地域へと受けつがれつつあります。次に紹介する小野郷での住民主体の地域づくりも、その1つです。
===== 引用おわり

「小野郷での住民主体の地域づくり」について更に知りたい方は、たとえば、津田隆・山部末光「拡張による学習としての地域活性化」(アドミニストレーション第15巻1・2合併号)の中の「3 .地域活性化のひとつの事例その構造の活動理論による解釈」を参照してください。
http://rp-kumakendai.pu-kumamoto.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/396/1/KJ151206_tsumagari.pdf

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