2017年8月29日火曜日

(K0119) 「“老衰死”10年で3倍」(死因より最期重視へ変化) <臨死期>


 厚生労働省の死亡診断書記入マニュアルでは、老衰は「高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死」。

 実にいいかげんな定義だと思う。高齢になれば、病のいくつかを抱えるのはごく自然。死亡の原因に、それらの病がどれほど関係しているのか、決める客観的な基準はないだろう。明らかに関係する、あるいは、明らかに関係していないと判断できないケースの方がむしろ少なく、多くはグレーゾーンにあり、その場合は医者の「判断」で決めるしかなかろう。
 

 「“老衰死”10年で3倍」「人口動態調査によると、老衰死は診断技術の進歩に伴い減っていたが、その後増加に転じ、17年の2万6千人から27年には8万5千人近くに増え、死因の7位から5位になった」という(添付図参照)。「全国老人福祉施設協議会の24年度の調査によると、特別養護老人ホームでみとりをした人のうち、老衰で死亡した人は6割を超える。」

 私は、「老衰死」が増えたのではなく、「医者が老衰死と認定した」ケースが増えたのだと思う。つまり同じように死んでいっても、以前は「病死」と判断する医者が多かったが、最近では「老衰」と判断する医者が多くなったのだと、私は思う。
 

 三つの要因を私は想定している。

(1) 「病院あるいは医者にとって、患者の死は敗北を意味する」という意識が問題視されている。QOL(Quality of Life:生活の死)を無視して、不必要な延命治療をしていないかという反省に基づく。医学的に患者の命を救える、あるいは長らえさせられるのは医者しかいないのだから、医者がこだわるのは、当然だと思う。その延長線上で、医者が「病死」よりも「老衰死」と書きたくなるのも、自然だと思う

(2) 「在宅で世話をしてきた家族にとって、きちんとみとった証し、勲章のような意味を持つ場合がある」

(3) 「在宅医療の普及で、人々の意識は、死の原因ではなく、最期に至るまでの生きた過程を重視する方向に変わってきたという。」

 

「老衰死」は、医者にも、家族にとっても、本人にとっても、悪いと決めつけられない。

 

「一線を越さなければ」、「老衰死」の増加を気にしなくても良いのではないか。

(1)  救える命を医師が『人生の最終段階』と判断し、医療を放棄する

(2)  明らかに病気が強く死亡に関係しているのに、「老衰死」と書く

(3)  医療ミスを「老衰死」として隠ぺいする

 

出典

産経新聞(2017/08/25
http://www.sankei.com/life/news/170825/lif1708250012-n1.html

添付写真は、以下より
http://www.sankei.com/life/photos/170825/lif1708250012-p1.html
http://www.sankei.com/life/photos/170825/lif1708250012-p3.html



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