今回も、講師 中西氏(有馬高原病院)から聞いた話を中心にしてまとめる。
1.
「認知症は怖い」という認知症観からの転換
1.1. 「ここはどこだかわからない」は、本人にとってはどうなのか
認知症が進んでくると「ココがどこだかわからない」という状態になる。でも「だから認知症の人は何もわからなくなっている」とは言えない。
逆に「ココがとこだかわかる」我々は、何故わかるのか? 次のようなことを手掛かりとして分かっているのだ。「その前にいた場所からつながっている」「その前の時間からつながっている」「その周りにいる人の顔がわかる」。これらを失うと、我々も「ココがどこかわからない」ということになる。例えば、海外の空港に降り立ったとき、似たような状態になって心細い。でも、人に聞いたりして、ホテルまでたどり着ける。
認知症は、このような状態に近い。手掛かりになる「つながり」を失って混乱しているだけで、何もわからなくなっているのではない。助けてもらえば、たくさんのことができる。
1.2. 認知症になってからも活躍している佐藤正彦さんからのメッセージ
https://www.sato-masahiko.com/
「あと5年経ったら何もわからなくなる」と言われた佐藤正彦さんは、アルツハイマー型認知症であるが、今でも全国各地で講演している。本も書いている。
1.2.1. 「認知症=不幸せ」とならないようにできている
「認知症になっても、不便ではあるけれど、不幸ではありません」
1.2.2. 二つの偏見を克服する
===== 引用はじめ
認知症と生きていく中で、私は二つの偏見を知りました。一つは自分の中にありました。「いろいろなことができなくなってしまう」という偏見(先入観)です。それによって、失敗ばかりするのではないかという不安に身動きが取れなくなる時期もありました。
もうひとつは社会の中にありました。「認知症の人は考えることはできない、何もわからない」というものです。
この二重の偏見は、認知症と生きようとする認知症当事者の生きる力を奪い、生きる希望を覆い隠すものだと思います。
===== 引用おわり
佐藤さんは気づき、克服し、今日がある。
1.2.3. 認知症になっても、自分は自分である
===== 引用はじめ
「できる」「できない」だけで人間を語ることはできません。自分が自分であることは、何によっても失われることはありません。
===== 引用おわり
認知症の人もまた、「自分が自分である」
1.2.4. 自分で決められる
===== 引用はじめ
認知症になると確かに不便ですが、決して不幸ではありません。自分がどのように生きていくかは、自分で決めて、自分で作ることができるのです。===== 引用おわり
1.2.5. それでも、佐藤さんは前に進む
===== 引用はじめ
物忘れが気にかかり夜は遅くなるまで眠れませんでした。私はもうこれで何もできなくなるのかと悲しく、夜になると涙が流れて困ってしまいました。===== 引用おわり
DVDブック 認知症の人とともに 永田久美子 監修 より
2.
「わが事ではない」という認知症観からの転換
2.1. 高齢者の認知症の有病率(1)
65歳以上の高齢者の認知症有病率の将来推計についてみると、平成37(2025)年には5人に1人となると見込まれている(図1-2-3-3)。
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2016/html/zenbun/s1_2_3.html
これを見ると80%の人は認知症にならないので、「私は80%の方であり、認知症にならない」と思う人がほとんどだろう。
2.2. 高齢者の認知症の有病率(2)
しかし、年齢階層別の認知症有病率をみると、85歳を超えると3人に1人、90歳以上では過半数が認知症であった(図2)。
https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1150010084.pdf
幸か不幸か、長生きをしてしまった(?)なら、認知症になると思っているのがよい。
認知症になるのは「わが事」である。
「認知症 = 不幸せ」とならないように、私たちにもできることがあるはずである。
添付図も、講師 中西氏(有馬高原病院)の資料から転載した。
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