2018年1月12日金曜日

(K0257)  やる気があればできるまちづくり <地域の再構築>


 昨日(1/11)受講してきた。
 

「ノウハウ0(ゼロ)からでも!
 やる気があればできるまちづくり」

講師は、御池台校区連合自治会 戎谷悦子 会長と平見和美 事務局長。
 

 不思議なタイトルである。

 先ず、二つのことが分かった。戎谷さんは、活動経験のない主婦だったが、頼み込まれて連合自治会長を引き受けた。その時点で「ノウハウ0(ゼロ)」だった。OK。現在の活動の説明を聞き「できるまちづくり」に納得。OK。素晴らしい活動を展開されている。

 おはなしを聞いても分からなかったのは「やる気があればできる」。現実は、やる気があってもうまくできないことの方が多い。しかし、御池台校区ではできている。「やる気と何かがあるからできているのではないか。その何かとは何か?」。質問状に書き説明したが、ストレートな回答はなかった。自分で考えるしかない。
 


 私の結論は、「御池台校区には戎谷会長がいたからうまくいき、戎谷会長いないところではうまくいかない」である。ここで「戎谷会長」は固有名詞ではなく、一般名詞である。「中心になって頑張る人」といったところだ。そうすると解き明かすべきことがはっきりした。「戎谷会長」とはどのような人で、何をしたか。
 

 以下、私の思う描いた普通名詞「戎谷会長」について述べる。実際の固有名詞「戎谷会長」に当てはまらないこともあるかもしれない。私が正確に理解できていないこともあると思う。
 

(1) 「戎谷会長」にはやる気がある
 ここで「やる気がある」とは何か。「私はやる気があります」と言ったところで、「やる気がある」とは言えない。「達成するまでやる気がある」が「やる気がある」ならば、「やる気があれば達成する」。達成しなければ、再挑戦する。あるいは、ゴールややり方を変えて挑戦し続ける。それが「やる気がある」ということだ。
 

(2) 「戎谷会長」は中心に立ち続けている
 私が逃げたら何もなくなる。うまくいこうが、いくまいが、中央に立ち続ける。私が嫌がったら、他の人も嫌がって逃げてしまう。中心に立ち続けてくれる人がいるから、安心して参加できる。
 

(3) 「戎谷会長」は、「自分がしたい」ことではなく、「他人が嫌がるが必要なこと」をしようとする
 あるいは、「自分にできる」ことではなく、「他人にはできない」ことをしようとする。「一人でできる」ことでも、一人でしようとはしない
 

(4) 「戎谷会長」は、自分ですることにこだわらない。誰かがやる気を出してやってくれれば、それはとても良いことだ
 やりがいを感じたら、人は動き出す。
 

(5) 「戎谷会長」は、自ら精一杯やったうえで、助けを求める
 助けにきてくれる人が、現れると信じている。目的を達成することが大切なのであって、そのために助けを求めることに躊躇がない。自分から名乗り出る人はいない。「会長に言われてしかたなく」からが始めやすい
 

(6) 「戎谷会長」は、これぞと思った人を、一本釣りする
 こちらから働きかけないと、向こうからは、なかなか、やってこない。誘われて、リーダーを見究めてから、人はついてくるのだろう
 

(7) 「戎谷会長」は、自分にできることをすべてやろうとし、他人から文句を言われないようにはする。しかし結果として文句を言わることもある。その時は「聞くしかない」
 やれることをすべてやっているから、文句を聞けるのだろう。もしやっていないことがあったら、その自分を弁護するため、相手を攻撃する心が生まれるだろう。
 

(8) 「戎谷会長」は、しんどくなることもあるが、楽しもうとする
 「しんどかったけれど、楽しかった」と帰ってもらいたい(殺気立つこともあるけれど…)。自ら楽しまないと、参加している人も楽しめない。
 

(9) 「戎谷会長」は、「お酒の席」を大切にする
 ただの「交流飲み会」ではなく、行事等で疲れてクタクタになった時の「お酒の席」のようだ。もちろん、お酒は自腹である。
 

(10) 「戎谷会長」には、パワーがある
 使命感が強いのだろう。性格的なものもあるかしれない。
 

(11) 「戎谷会長」は、実行する
 「こうすればよいと言うが、何もしない」人、「他人がしたことを批判するだけ」の人、が多い。そのような人が何十人いても、良くはならない。
 

(12) 「戎谷会長」の仕事は三つ
 いやなことを引き受ける。しんどいことを引き受ける。人を集める
 

(13) 「戎谷会長」は、長く続けている
 21年間、連合会長

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