【 読書 ・ 老人力 】「キリスト教に限らず、だいたいの宗教が清貧はいいものだと教えている。アメリカ人だって物欲の後ろめたさが少しはあろうから、宗教からいわれたら少しは耳を傾ける」。宗教の力で、貧乏を「清貧」として受け入れる。
「使い古したものに、えもいわれぬ味わいが生れる。そうやって物体に味わいをもたらす佗び力、寂び力というのは、物体の老人力なのだった」。日本人は、これを発見し、アメリカ人は発見できない。彼らはなぜできないのかと、考察が進む。
「キリスト教に限らず、だいたいの宗教が清貧はいいものだと教えている。アメリカ人だって物欲の後ろめたさが少しはあろうから、宗教からいわれたら少しは耳を傾ける。」つまり、アメリカ人は宗教の力で、貧乏を「清貧」として受け入れる。
「でも侘びとか寂びは宗教ではない。カテゴリーとしては趣味である」。だから、アメリカ人は、「宗教にいわれるから清貧までは理解する。でも侘び寂びはムリだ」ということになる。
===== 引用はじめ
しかし貧乏問題はもう一度考え直す必要がある。貧乏はたしかにダメだけど、ダメな一方で味わいがある。ということを、しかし主張するのは難しい。みんな貧乏は嫌で、金には目が眩むから。
というので、それを別の口調で、佗びとか寂びとか、あるいは清貧とかいってその入口を開けてきた歴史があるのである。
===== 引用おわり
前回は、
(K1712) 再び「老人力」が見直されてもよい / 「 老人力 」(35)
http://kagayakiken.blogspot.com/2022/02/K1712.html
<出典>
赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.166
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