2017年7月6日木曜日

(K0066) 老人の反逆 / 社会学から見た「少子高齢・人口減少社会」(1) <個人の発達>


 第51回臨床死生学・老年行動学研究会(201775日)において、社会学者である小田 利勝氏(神戸大学名誉教授)の「少子高齢・人口減少社会と老人の反逆」というテーマに関する講義を聞いた。その内容および、聞いての感想。
 

 「老人の反逆」という言葉は、ホセ・オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』の「もじり」である。「密集(充満)という事実」に注目すると、それは大きな力になる。オルテガによれば、それゆえ、大衆が時代を大きく変える力をもつ。現在に目を転ずると、いたるところで老人が満ち溢れている。だから、老人は、これからの時代を変える力がある。
 

 選挙の投票は、象徴的である。二つの理由で、老人は選挙投票で大きな影響力をもつ。

一つ目に、老人の人口割合が増えている。人口を年少人口(0歳から14歳)、生産年齢人口(15歳から64歳)、老年人口(65歳以上)の3区分に分けるとき、老年人口割合は、昔はわずかだったが、平成8年ころには年少人口割合を追い越した。老年人口は「小数者」から「セカンド・マジョリティ」に変わった。

「年齢3区分別人口の割合の推移」(総務省統計局資料)参照
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2014np/



 二つ目に、高齢になるほど選挙における投票率が高くなるという事実がある。

「衆議院議員総選挙年代別投票率の推移」(明るい選挙推進協会資料)
http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/071syugi/693/



 選挙における力は、この二つの因子の積で決まる。今や、老年人口は、生産年齢人口を凌駕する勢いである。

 
 しかし、日本では、老年人口は、政治にあまり関与していない。アメリカでは、アメリカ退職者協会が大きな政治的発言力があり、ヨーロッパでも同様な動きがある。日本の老人は、アドボカシーの意識が弱い。

(注)アドボカシー(英:advocacy)とは、本来「擁護」や「支持」「唱道」などの意味を持つ言葉で、日本では近年、「政策提言」や「権利擁護」などの意味で用いられるようになっている。また、アドボカシーを、「社会問題に対処するために政府や自治体及びそれに準ずる機関に影響をもたらし、公共政策の形成及び変容を促すことを目的とした活動である」と定義する専門家もいる。(ウィキペディア)

 

 先に示した「年齢3区分別人口の割合の推移」から他方、言えることは、年齢階層構造に歪みが生じて、世代間契約は必然的に破綻する。つまり、年金制度を維持できないことを意味する。それならば、限られた予算枠の争奪で、生産年齢人口と老年人口との間に、世代間抗争が先鋭化するはずである。

 しかし、日本では先鋭化していない。

「生産年齢人口」のための予算(例えば、子育て支援)に対し、
  「老年人口」は強い異議を示していない。

「老年人口」のための予算(例えば、老人福祉)に対し、
  「生産年齢人口」は強い異議を示していない。
 

何故か。

 
「生産年齢人口」を強化することは、「老年人口」を支える力の強化になることを知っている。
「老年人口」の福祉を強化しておくことは、自分たちが老年になったときに役立つことを知っている。

つまり、他世代に振り向けられているように見える予算も、まわりまわって自世代に役立つことを知っているから、ということになる。

これが本当なら、日本人は本当に「大人」だなと思う。

 
しかし、これは単なる無関心、ノーテンキ(能天気)のような気もする。
 

続く
 

小田 利勝氏(神戸大学名誉教授)、「少子高齢・人口減少社会と老人の反逆」、第51回臨床死生学・老年行動学研究会(201775日)

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