【 読書 ・ 老人力 】人間の頭の限界というのは必ずあり、またその限界を超える可能性も人間は持っている。でもその二つは一筋縄ではいかない。ある種の複合性をもって進んでいく。努力と反努力の暗黙のサインプレイで、目標に近づく。
若い人は、若い時は、無限の可能性を持っていると感じる。確かに、彼は将来、Aになれる可能性もあるし、Bになれる可能性もあるし、Cになれる可能性もある。実際には、未だチャレンジしていないので、不可能であるかもしれないが、そうかどうかは分からない。この段階で、可能性がないと言えない。不可能であると決めつけてはいけない。
しかし、年をとっていくと、次々と不可能であることが明らかになっていく。二つのパターンがある。
例えば、小学校1年生のときには、A中学に進学できる可能性もあり、B中学に進学できる可能性もある。しかし、6年生になったあたりで、A中学にもB中学にも進学できない実力だとわかることがある。また、実力があっても、A・B両方の中学には進学できないので、一つの可能性は捨てなければいけない。つまり、可能性はどんどん狭められていく。
しかし、以前は漠然としていた進学以降のことが、明確になってきて、公立中学あるいはB中学に進学した後の可能性が、また広がっていく。
可能性の限界に直面すると、その先の可能性が生まれる。
老人力は、このように、人間の限界を知ることにより、人間の限界を超えていこうとする。以下の文を読んで、こんなことを考えた。
===== 引用はじめ
下手の考え休むに似たり、というが、人間の頭の限界というのは必ずあり、またその限界を超える可能性も人間は持っている。でもその二つは一筋縄ではいかない。ある種の複合性をもって進んでいくもので、努力と反努力の暗黙のサインプレイで、それは目標に近づいていく。
===== 引用おわり
前回は、
(K1641) 反努力、自然主義、他力思想 / 「 老人力 」(27)
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/10/K1641.html
<出典>
赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.144
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