2017年9月22日金曜日

(K0144) 「第一の人生」と「第二の人生」を重ね合わせる(2) / 人生100年時代の人生設計(4) <個人の発達>


前回(K0143)では、「ライフサイクル・モデル2(B)」を示し(今回も同じ図を添付)、「第二の人生」を立ち上げるために、「第二の人生」がどのようなものであるかのイメージづくりをした。今回は、その続き。
 

「第一の人生」 :
 「誕生」→「アイデンティテイ確立」→「アイデンティティ見直し」→死亡(完結)

「第二の人生」 :
 「誕生(再生)」→「アイデンティテイ確立」→「アイデンティティ見直し」→死亡
 

生身の人間は、「誕生」で始まり、「死亡」で終わる。そごで「第一の人生」の終わりは「死亡(完結)」、「第二の人生」の始まりを「誕生(再生)」と表現した。これらが大切なことは、(K0142)で既に述べた。

 

(1) 「アイデンティティの確立」

===== 引用はじめ
自己同一性(じこどういつせい、アイデンティティ、英: identity)とは、心理学と社会学において、ある者が何者であるかについて他の者から区別する概念、信念、品質および表現をいう。 … エリク・エリクソンによる言葉で、青年期の発達課題である。
===== 引用おわり
Wikipedia「自己同一性」
 

仕事人間が退職すると、肩書・地位も、収入も、人間関係も一気に失う。差し出す名刺がないのにも戸惑う。もっとも深刻なのは、アイデンティティの喪失であり、新たなアイデンティテイの確立が急務である。しかし、できていない人が多い。

「第二の人生」においても、「アイデンティティの確立」が重要である。

 

(2) 「アイデンティティの見直し」

===== 引用はじめ
ユングは、この「人生の正午」について次のように語っています。

「太陽は、予測しなかった正午の絶頂に達する。


正午12時に下降が始まる。

しかも、この下降は午前すべての価値と理想の転倒である。
太陽は、矛盾に陥る」

確かに、人生の正午を迎える時、
人は「自分自身について」「これからの生き方について」
真剣に考えることを迫られるでしょう。

午前と同じ生き方をしていくわけにはいかない、
今まではとは違う生き方をしなくては、でもどうすれば良いんだろう?
===== 引用おわり
http://www.j-phyco.com/category1/entry71.html

 

40歳ころまでは、未来に向かって突き進むことばかり考えていた。しかし、ふと、「過去にやりたかったけれど出来なかったこと」が気になり始める。忙しさにかまけてこれを忘れてしまって猪突猛進に戻るか、気になってウロウロするか。私は、ウロウロするのが正解だと思う。


生身の人間としては、周囲や運命に翻弄されながら、それでも鎧兜を身に着け、前に進んできた。それはそれでよい。ただ、そのうち、鎧兜=自己 と自分自身で錯覚してしまい、本当の自分が分からなくなる。「過去にやりたかったけれど出来なかったこと」は、本来の私が望んできたことを思い出すきっかけになる。「私は、本当に絵を描くのが大好きだったが、仕事の為に捨てた」等々。

この「過去にやりたかったけれど出来なかったこと」を実現するのが、「第二の人生」だと思う。ここを理解すれば、「退職して時間ができた。金もある。でも、することがなくて空しい」ということなど起こり得ない。

「第一の人生」で「絵を描く」は、例えば二科展に入賞することかもしれない。しかし「第二の人生」で「絵を描く」は、違っていい。仲間と一緒に絵描きを楽しんでみても良いし、一人であちこちに行って絵を描いて楽しんでも良い。ベッドに寝た切りなら、名画を模写しても良い。老人ホームの一画で、「個展」を開いても良い。身の丈で楽しむのが「第二の人生」の流儀だろう。
 

「中年の危機」という「危機」の英語は「クライシス」。「クライシス」には「分岐点」という意味もある。ここが分岐点であり、成功すれば、素晴らしい「第二の人生」が始まる。
 


「第二の人生」の「アイデンティティ見直し」に話を進める。

特別養護老人ホームでの質疑。「高齢になってもかくしゃくとしている人とそうでない人とがいる。その違いは何ですか?」「下の世話を自分でできることが大きい。これを境に、しぼんでしまう人が多い」

長生きをすると、かなりの高い確率で、自立を喪失する。自分のことを自分でできなくなり、他人の世話にならざるを得ない。それでも、自分の尊厳を保つために、多くの人は「アイデンティティの見直し」が必要になる。

 

「第一の人生」と「第二の人生」は、似た構造を持つ。

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