(K0151)で認知症者数が加速度的に増えると書き、(K0152)で認知症者が街に溢れだすと書いた。「認知症者が入れる施設が足りなくなり、認知症者が街に溢れだす」という書き方をしているので、これは困ったものだ、ということになる。でも、本当に困った状態なのだろうか?
高齢者福祉施設『喜楽苑』は、認知症者が外出することを積極的に容認している。
===== 引用はじめ
喜楽苑は、法人理念であるノーマライゼーション=どんなに重い障害があっても「地域の中でひとりの生活者としての暮らしを築く」を使命としてさまざまなとりくみを行ってきました。…
認知症の方々に対しても全く同様のとりくみをしています。また、徘徊を「外出」と称して、その方のその時の想いを大切におおらかに見守ってきました。これらのことが実現できたのは「地域に根ざす運営」によって地域の方々のご理解とご協力を得られたからこそだと感謝しています。
===== 引用おわり
http://www.kirakuen.or.jp/jigyo/kiraku/
認知症の方も入居している喜楽苑だが、夜になっても鍵をかけない。だから飲みたくなったら、認知症の人も、居酒屋に繰り出す。時には、居酒屋に行かずに徘徊し始める人もいる。でも、困らない。困りそうになったら居酒屋の店員や近隣の人が手を差し伸べ、安全に喜楽苑まで届けてくれる。
特定非営利活動法人『花たば』からも、同じような話を聞いたことがある。
http://www.hanatabanpo.sakura.ne.jp/
自由に徘徊できることにより、QOLが改善し、認知症の周辺症状の改善が期待できる。
===== 引用はじめ
周辺症状には必ず「中核症状と本人が持ち合わせた性格や環境に起因する理由」があり、その理由を理解し適切な対応をとることで本人が穏やかに生活する事が可能となります。逆に理解されない事で周辺症状がより悪化し介護が困難となるケースもあります。===== 引用おわり
https://info.ninchisho.net/symptom/s10
「認知症者が街を彷徨っている」。この事実だけからでは、その街が「困った街」であるか、「素敵な街」であるかは決まらない。受け入れる環境により決まる。
「認知症者を受け入れる環境が整備されていない街」は、「困った街」である。
「認知症者を受け入れる環境が整備されている街」は、「素敵な街」である。
最も生きにくい人が生きやすくなれば、全ての人が生きやすい。
認知症者に声掛けをして助けようとする人たちは、障碍者に対しても、高齢者に対しても、妊婦にたいしても同じ行動をとるだろう。持ちきれない程の荷物をかかえている屈強な若者にも手伝いの手が伸びる。障害をもっている人も、その人のできる範囲で、他の人を助けようとする。
認知症の人が安心して安全に暮らせる街は、誰にもとっても暮らしやすい、素敵な街なのだ。
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