先ずは、長谷川医師に敬意を表したい。
これだけ認知症が話題になっても、誤解している人が多い。
「認知症になったら何もわからなくなる」「何も分からなくなるから、本人は幸せだ」
と考えている人が、今も多い。
以前、立て続けに二人の方から「究極の選択」の話を聞いた。
「最期は、がんになって死にたいか、認知症になって死にたいか。二つから一つを選べ」
講演者自身の答えは、
がんの専門家はがんを選び、認知症の専門家は認知症を選んだ。
何故か。
自ら多くの事例に接し、
がんの専門家は、がんとの付き合い方を知っており、認知症の専門家は認知症との付き合い方を知っているからだろう。
付き合い方を知っておれば、与えられた状況下での最善の生き方ができる。
認知症当事者として認知症専門家が語る話は、とても貴重なのである。
インタビューに応じた長谷川医師は、次の事項について語った。
(1) 自分が認知症になって、どんなふうに感じたか
(2) 認知症じゃない人が認知症の人に接するとき(3) これからどのように生活していきたいか
(4) 認知症を公にすることで、伝えたいこと
【各論】
(1) 自分が認知症になって、どんなふうに感じたか
===== 引用はじめ
認知症になった自分とそうじゃなかった自分には、そんなに大きな差がない。連続性があるという感じがするんだ。
===== 引用おわり
(2) 認知症じゃない人が認知症の人に接するとき
===== 引用はじめ
だから、認知症じゃない人が認知症の人に接するときは、自分と同じ人だと思って接した方がいいと思う。たとえば、
目線を同じ高さに、ということ。認知症だからといって、特別な待遇はしない。軽蔑しない、敬遠しない。逆に「特別な気持ちで接しないと」と見上げるのも良くない。それが(認知症の人を尊重し、中心に置く)パーソン・センタード・ケアだろうと思う。
===== 引用おわり
(3) これからどのように生活していきたいか
===== 引用はじめ
他の人からの支えを受けなければ、何もできない。そういう気持ちを持って、お願いしながらやっていく。この先、何が起こるか分からないよ。突然転んで認知症が進んだり、思わぬ病気になったり、あっという間に死んでしまったりするかもしれない。未来は不透明だと覚悟して、腹をくくって一日一日を大切に生きていく。自分のできる範囲で、人の役に立つことをやってみようと思う。
===== 引用おわり
(4) 認知症を公にすることで、伝えたいこと
===== 引用はじめ
非常に重要なのは、生きていることの尊さ。 … 1人1人が、みんな尊い存在であるあるということを、知らなくちゃいけない。僕はこれからも明るい気持ちで、笑うことを大切にしていく。
===== 引用おわり
出典
発症を公表 長谷川和夫医師に聞く 認知症 特別扱いしない
患者だからこそ分かる「生」の尊さ
人生マスターズ、産経新聞(2018/03/25)
添付写真は、新聞紙面より。
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