【 読書 ・ 老人力 】日本的な美の感覚というか、美意識といいますか、古来より佗びとか寂びと呼ばれてきた感覚があるのだけど、あれはじつは老人力だと気づいて、なあんだと思った。使い古した品に、えもいわれぬ味わいが生れる。
===== 引用はじめ
お茶の世界などで、佗びとか寂びという言葉がある。作りたての新品ツルピカではなくそれが長年使われて、少し壊れたところが補修されたり、少し汚れがついたり、染みが広がったりして、えもいわれぬ味わいが生れる。
あるいは秋になって枯葉が落ちて、きくきくと折れ曲がる柿の木の枝に、最後まで残ってしまった赤い実が一つ、熟しきって皺が寄りはじめて、ふとそばに鴉が飛んできて、かあ、と鳴いたりする。
日本的な美の感覚というか、美意識といいますか、古来より佗びとか寂びと呼ばれてきた感覚があるのだけど、あれはじつは老人力だと気づいて、なあんだと思った。
===== 引用おわり
これは、わかりやすい。「作りたての新品ツルピカではなくそれが長年使われて、少し壊れたところが補修されたり、少し汚れがついたり、染みが広がったり」というのが、老人の姿だろう。そこに「えもいわれぬ味わい」を感じる美意識で、老人力が生まれる。
経年変化を経た結果の姿を見るのではなく、そこまでの経過を見ている。使われる、少し壊れる、補修される、少し汚れがつく、染みが広がる、それらすべては、生きてきたという証である。今見える姿に、生きてきた証を見る。
そこに目が行ったとき、美意識が生まれ、そこから多くのものが伝わってくる。
前回は、
(K1677) ムダなリキみがなくなる / 「 老人力 」(32)
http://kagayakiken.blogspot.com/2022/01/K1677.html
<出典>
赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.162
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