2022年1月26日水曜日

(K1684) 佗びとか寂びと呼ばれてきた感覚 / 「 老人力 」(31)

 【 読書 ・ 老人力 】日本的な美の感覚というか、美意識といいますか、古来より佗びとか寂びと呼ばれてきた感覚があるのだけど、あれはじつは老人力だと気づいて、なあんだと思った。使い古した品に、えもいわれぬ味わいが生れる。


===== 引用はじめ

 お茶の世界などで、佗びとか寂びという言葉がある。作りたての新品ツルピカではなくそれが長年使われて、少し壊れたところが補修されたり、少し汚れがついたり、染みが広がったりして、えもいわれぬ味わいが生れる。

 あるいは秋になって枯葉が落ちて、きくきくと折れ曲がる柿の木の枝に、最後まで残ってしまった赤い実が一つ、熟しきって皺が寄りはじめて、ふとそばに鴉が飛んできて、かあ、と鳴いたりする。

 日本的な美の感覚というか、美意識といいますか、古来より佗びとか寂びと呼ばれてきた感覚があるのだけど、あれはじつは老人力だと気づいて、なあんだと思った。

===== 引用おわり

 

 これは、わかりやすい。「作りたての新品ツルピカではなくそれが長年使われて、少し壊れたところが補修されたり、少し汚れがついたり、染みが広がったり」というのが、老人の姿だろう。そこに「えもいわれぬ味わい」を感じる美意識で、老人力が生まれる。

 経年変化を経た結果の姿を見るのではなく、そこまでの経過を見ている。使われる、少し壊れる、補修される、少し汚れがつく、染みが広がる、それらすべては、生きてきたという証である。今見える姿に、生きてきた証を見る。

 そこに目が行ったとき、美意識が生まれ、そこから多くのものが伝わってくる。

 

 前回は、

(K1677) ムダなリキみがなくなる / 「 老人力 」(32)

http://kagayakiken.blogspot.com/2022/01/K1677.html

 

<出典>

赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.162



0 件のコメント:

コメントを投稿