アメリカの政治学者であるロバート・パットナムは、イタリアの地方制度改革の進行について調べたところ、圧倒的に北部のほうがうまく進んでいるのだそうです。
===== 引用はじめ
なぜなら、イタリア南部のような伝統的な農村社会は、ヒエラルキーが固定化されていて、なかなか議論が進まない。
対して、北部のようなヨーロッパの都市部は、人々が集まって合議をする場、つまり国家と個人の中間領域が豊富に存在している。パットナムはこの中間領域を「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)と見なし、それが分厚い社会は民主制がうまくいくという論を展開しています。
===== 引用おわり
重要なのは「水平的関係」が成り立っていること。個人が個人として認められるような中間領域が分厚ければ分厚いほど民主制はうまくいく。
さらにパットナムが、自分の国であるアメリカの社会は、この中間領域を失っているということを書いたのが『孤独なボウリング(Bowling Alone)』という著作です。
===== 引用はじめ … ところがいま、地方都市のボウリング場に行ってみると、中年男性が一人でボウリングをしているだけ。だから「ボウリング・アローン(ひとりぼっち)」なのです。
それがアメリカ社会における、ポピュリズムの蔓延につながっている。アメリカの民主制を立て直すためには、もう一度中間領域をつくり直し、ソーシャル・キャピタルを分厚くする必要があるというのが、パットナムの主張なのです。
===== 引用おわり
以下は、私(藤波)の意見
日本においては、戦後GHQの日本弱体化政策によって地域組織を破壊され、回覧機能しか残っていない自治会も多いと聞いています。人為的に破壊されたものであれば、人為的に立て直せるのではないでしょうか。今なら、間に合うのではないでしょうか。
国会が無様な様をさらしています。考えてみれば、国民の質以上に高い国会議員が現れなくても、仕方がないように思います。今、我を我々ができること、それは、「中間領域」をしっかりと形作っていくことではないでしょうか。
<出典>
中島岳志(2019/2)、オルテガ、「大衆の反逆」、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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