本を読んで考えた。次のような仕組みなのだろう。
人は「自分で選んだ道」は自発的に歩み始めることができるが、
「強制された道」を歩み始めるのは難しい。
「こうすべきだ」「こうせねばならない」という意思の力で
「強制された道」を歩もうとしても、それはとても苦しい。
「これしかないのだ」と分かっているのに動けない。
分かっているのに動けないから、自分を責める。
「強制された道」は、他者から強制されるとは限らない。
自分で自分に強制することもある。
もしも「強制された道」とは別に、
「もうひとつの道」が示されたら、どうなるか。
元々の「強制された道」は、「これしかない」道だと知っている。
だから、二つの道のうち「強制された道」を選択する。
そのとき「強制された道」は、もはや「強制された道」ではない。
「自分で選んだ道」に変質している。
人は「自分で選んだ道」を
自発的に歩み始める。
===== 仕組み説明 おわり
===== 本からの引用 はじめ (P.38 – P.40)
私は、とにかく頑張らなければいけないと自分を追い詰めました。
私は良太の親だからです。つらいと弱音を吐くことは許されません。
すぐに本当の感情がついていけなくなりました。
…
つらい。
これから、どうしたらよいかわからない。
育てられる自信がない。
なんで良太には障害があるんだろう。
なんで良太を普通に産んであげられなかったんだろう。
なんで、どうして。
取り留めもなく、主人に向かって繰り返しました。
「このまま良太と二人で消えてしまいたい」泣きながら伝えると、それまで何も言わなかった主人が口を開きました。
「そんなにつらいなら、育てなくてもいい。施設に預けるという方法だってある。絶対にママが育てないといけないわけじゃない」
それは想像もしていなかった一言でした。
「俺は誰よりもママが大事た。頑張っているママが生きていく自信を失くすほどつらい思いをするなら、そこまで責任を負わなくてもいい」
主人は私の目をまっすぐ見て、そう言いました。
子どもが好きだった主人がどんな思いでそれを口にしたのか、想像に難くありません。
でも当時の私は、自分の頑張りを、良太と向き合いたいのにそれができない苦しさを、ちゃんと認めてくれる人がいることにびっくりするほど救われたのでした。
「…ううん、私が良太を育てる」
まるでそれ以外の選択肢がないように、私の口から無意識に決意が飛び出しました。
前向きになるとか、立ち直るとか、とてもそこまでのポジティブな変化だったとは言えません。
強いて言えば「諦めない」という選択に近かったと思います。
===== 本からの引用 おわり
(前出)
引用:岸田ひろ実、「ママ、死にたいなら 死んでいいよ」~娘のひと言から私の新しい人生が始まった~、致知出版(2017)
案内:2017/6/8
<岸田ひろ実さんを囲む会>19:00開演、隆祥館書店(大阪中央区)
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