2018年9月10日月曜日

(K0498)  見守り人システム <見守り>

 
 (K0495)で高齢者の見守りを3つに分けた。
 
(1)  とりあえず生きている(が、問題がある)
(2)  死にそうになっている
(3)  死んでしまっている
 

 そして(K0492)に紹介した「振動感知で高齢者見守り」システムは、(3)をもっとも得意にしていることが分かった。しかし、
 
 これは「例えば冷蔵庫の扉にセンサーをつけ、開閉するとその通知がシグフォックスのネットワークを使って、あらかじめ登録してある親族に届く。逆に、開閉が24時間ないときにも通知が届く」システムである。
 

 信号が届く、それだけでは何の価値もない。
 
  異常を示す信号が届いたので、息子が車をとばして独居の父を訪ねたところ、倒れていたので病院に連れて行った

  北海道で一人暮らしをしている父の異常を示す信号が東京に住んでいる息子に届いた。息子はかねてからお願いしていた父の隣人に、様子を見てほしいと電話をした。隣人は預かっていた鍵で室内に入ったところ倒れていたので、救急車を呼んだ。
 
 ここで、価値が生まれている。
 

 注目すべきは、必ず人がいることである。見守ろうとする人を介して、命が救われる。
 

 「振動感知で高齢者見守り」は、見守りシステムではない。見守り補助システムにすぎない。それが必要条件になることはあっても、十分条件にはならない。
 
 絶対条件は、見守ろうとする人がいて、その人が見守りを成果に結びつけるところまで行動することである。
 
 便利なシステムができても、それは便利である以上のものにはならない。役に立つ可能性があるにすぎない。

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