2018年9月26日水曜日

(K0513)  10月1日は「生涯現役の日」 <高齢期の仕事>

 
===== 引用はじめ
 高齢者活躍支援協議会など非営利団体や有識者、民間企業などが19日、厚生労働省内で記者会見を開き、「生涯現役の日」を10月1日に定め、生涯現役社会の実現に向けた取り組みを始めることを明らかにした。

 同委員会(*)は「個人が生涯にわたって自立を目指し、全ての世代が活躍できる社会を目指す」として記念日を設定。10月1日は、1990年に国連総会で決議された「国際高齢者デー」でもあり、新たな記念日としての認知を目指すという。
===== 引用おわり
(*)「生涯現役の日」制定・普及推進委員会
 

 「生涯現役」「生涯にわたって自立」「活躍できる社会」と言えば、聞こえはよい。しかし、その魂胆は、
 
===== 引用はじめ
 高齢化のスピードはますます速くなっている。減少する働き手を補い、年金や介護など社会保障の支え手を増やすためにも、「生涯現役」の社会づくりは急務の課題だ。
===== 引用おわり
 
 「にも」と書いて主客逆転でごまかしているが、本音は「死ぬまで働いて税金を払いつづけなさい」ということだろう。
 

 二つの怒りを感じる。

 戦後のすべてを失ったところから、そして石油ショックの破局的状況から、時には個人や家族を犠牲にして今日の日本を築き上げた人たち(今の高齢者)への感謝も敬意も、みじんもない。「死ぬまでこきつかおう」としか考えていない
 労働者が働いた給料の中から拠出し、今日に蓄えているはずの年金基金。そこから巨額の金を「年金事業」という名前の下に「どぶに捨てた」反省が、みじんもない。
 

 また、「個人の人生設計」という視点が欠落している。

 「働いて働いて死んでいく」ではない生き方もあるだろう。蓄えた金を消費しながら、心豊かな最後の時間を楽しんではいけないのか。税金を払わずとも、ボランティア的に社会に貢献していく生き方もあるだろう。「生涯現役」という言葉で、それらを押しつぶしてよいのか。
 平均寿命と健康寿命との差が、平均して10年ほどある。その10年をどう考えているのか。健康寿命が終わった時点で死ねば「生涯現役」は可能だろう。そうしなければ、「生涯現役」は達成できないのではないか。
 

 財政破綻してはいけないことは理解している。しかし、「政策」としては、あまりにも、お粗末な取り組みではないか。
 


<出典>
(1) 10月1日は「生涯現役の日」  高齢者「戦力化」を
産経新聞(2018/09/20)
 

(2) 「生涯現役の日」10月1日に設定 横尾忠則さんがロゴマーク作成 
https://www.sankei.com/life/news/180919/lif1809190037-n1.html
 

(3) 生涯現役の日 高齢社員の「戦力化」を
https://www.sankei.com/life/news/180919/lif1809190049-n1.html


注 (1) = (2) + (3)


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