「人は3度死ぬ」とは何か。
(1) 社会的な死 … 社会との関係が切れて存在が忘れ去られる
(2) 肉体的な死(3) 記憶の死 … 残された人々から忘れ去られる
このうち(2)は、個体の死である。(1)(3)は社会的存在の死である。(1)は生前に起こり、(3)は死後に起こるという違いはあるが、本質的には同じである。
さて、この3つの死のうち、一番怖いのはどれか。人によってちがうだろう。自分の場合を考えてみた。
一番怖くないのは(3)である。死んだ後に起こることである。死んだら何もなくなるので(と私は思っている)、先のことを想像して怖がるのはナンセンスである。
次に怖くないのは(2)である。死んだ後にも、必ず私が生きていた痕跡が残るはずである。私が生きてきたか生きてこなかったかにより、私が死んだ後の世界は変わるはずである。そういう意味で、私は存在し続ける。残された人が忘れるか忘れないかは関係がない。
一番怖いのは(3)である。忘れ去られるのが怖いのではない。私の存在が、社会を変えなくなるのが怖い。さらに、私が適切な行動をすれば避けられるのに、それに失敗すると社会を変えなくなってしまう。その失敗が怖い。
以下、御参考
A) 肉体的な死と、残された人々から忘れ去られるという記憶の死
B)
宗教者、葬祭関係者が一体となって供養していくことが大切です
C)
生前であっても社会との関係が切れて存在が忘れ去られてしまうことがあります
【展開】
A) 肉体的な死と、残された人々から忘れ去られるという記憶の死
===== 引用はじめ
壇蜜さんは、葬祭学校の授業で「人は2度死ぬ」と学んだという。「それは肉体的な死と、残された人々から忘れ去られるという記憶の死。肉体の死は避けられませんが、記憶の死は心がけ次第で誰もが防ぐことができます。死ぬのは1回ですむようにするのが葬儀に関わる人間の役目です」と語った。===== 引用おわり
B)
宗教者、葬祭関係者が一体となって供養していくことが大切です
===== 引用はじめ
広原さんは「いいことを教えてもらった」と応じ、「2度目の死を避けるために、初七日、四十九日、一周忌、三周忌といった法要で手を合わせることが大切。宗教者、葬祭関係者が一体となって供養していくことが大切ですね」と述べた。===== 引用おわり
C)
生前であっても社会との関係が切れて存在が忘れ去られてしまうことがあります。
===== 引用はじめ
戸松さんは「生前であっても社会との関係が切れて存在が忘れ去られてしまうことがあります。そうした社会的な死の悲しみや死後の不安を聞いていくことが僧侶の役割です」と述べた。===== 引用おわり
<出典>
ソナエ博セミナー 葬儀のあり方語る産経新聞(2018/08/31)
壇蜜さんが「納得の別れ」の大切さ強調 ソナエ博セミナー、葬儀のあり方語る
https://www.sankei.com/life/news/180831/lif1808310012-n1.html
このサイトの写真を転載。
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