2021年2月23日火曜日

(K1395)  終活期の「学び」 <自立期>

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まずは「学ぼう」とそう決意する。「学び」とは知識の量ではない。「学ぶ」とは「学ぶ」ものを探知し、拾い集める姿勢と礼儀のこと。それさえあれば、賢愚善悪のいかなる人からも私たちは何かを「学び」取るのです

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 ならば私如きもこの「学び」の決意を、と終活の年頃とはいえ、心に誓ったわけです。――武田鉄矢の言葉です。

 では、何を、誰からどう学べばよいのか。ちがうちがう。「学び」の具体などどうでもいい。

 

 次の一節は、私にとっては分かりやすく、納得できるものでした。

 

===== 引用はじめ

〈「学ぶ」とは何よりもまずその誓言をなすことです。そして、この誓言を口にしたとき、人は「学び方」を学んだことになります。ひとたび学び方を学んだものはそれから後、どのような経験からも、どのような出会いからも、どのような人物のどのような言動からも、豊かな知見を引き出すことができます。〉

 この後に、内田氏は仰天の「学び」の極意を告げます。それが以下で、「学び」の姿勢にある者は――

〈賢者有徳の人からはもちろん、愚者からも悪人からもそれぞれに豊かな人間的知見を汲み出すことができる。〉

 まずは「学ぼう」とそう決意すること。その決意だけで世界は一変する、と。「学び」とは知識の量ではない。「学ぶ」とは「学ぶ」ものを探知し、拾い集める姿勢と礼儀のこと。それさえあれば、賢愚善悪のいかなる人からも私たちは何かを「学び」取るのです。

===== 引用おわり

中の引用は、内田樹「日本辺境論」、P.198 - 199

 

 「学ぼう」と思って生きていたら、「学ぶべきもの」は、次々と勝手にやってきます。

 

<出典>

武田鉄矢、「老いと学びの極意」(文藝春秋)、P.251 - 252



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