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まだエネルギーがあること。定年をまぢかにひかえていようと、退職後であろうと、精神的、肉体的なエネルギーがのこっている。人生においてリタイア感がない。社会的にも活動意欲をおさえることができない
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===== 引用はじめ
いま私が「新老人」として扱おうとするのは、それとは少しちがう人びとだ。年齢でいうなら60代から80歳代まで。
いま世間を騒がせている暴走老人、迷走老人が、ほぼこの範疇にはいるだろう。90になればもう超老人である。
この新老人世代が最近おだやかではない。なにかアナーキーな胎動をも感じさせる。しかし、それら新老人の生態は必ずしも一様ではない。一様ではないが、共通したものがある。
===== 引用おわり
(1) 一つは、まだエネルギーがあること。定年をまぢかにひかえていようと、退職後であろうと、精神的、肉体的なエネルギーがのこっている。人生においてリタイア感がない。社会的にも活動意欲をおさえることができない。
これには、100%私も同意する。しかし、
(2) 二つ目は、百歳社会の未来に不安と絶望感を抱いていること。いま70歳の人は、あと20年を生きなければならないのだ。その最後のシーズンが、どれほど悲惨なものになるかを、すでに知ってしまっている。
これについては、私は100%不同意だ。最後のシーズンは悲惨でないし、不安と絶望感を抱いていないだろう。そういうことも皆無ではないだろうが、言い切りが過ぎている。著者の個人的な感想にすぎないのではなかろうか。
===== 引用はじめ
実際に自分が親の介護の経験をもつ人もいるだろう。そしてこれから先は、誰もが適当に、穏やかには死ねないことを知っている。認知症か、アルツハイマーか、寝たきりか、孤独死か、ガンか、いずれにせよ悲惨な将来は確実なのだ。
死んで宇宙のゴミとなる前に、生きながら社会のゴミになる長寿の未来。
===== 引用おわり
あまりにも悲観的だ。こうならないために、すべきことは沢山ある。嘆いている暇があるのなのなら、ややるべきことをやろう。
<出典>
五木寛之、「新老人の思想」、P.71 – 72
添付図は、
https://www.rbbtoday.com/article/2015/06/23/132574.html
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