2021年10月17日日曜日

(K1628) 反論理、反努力、老人力の世界だ / 「 老人力 」(25)

 【 読書 ・ 老人力 】 「眠ろうと努力すると、眠れない」「忘れようと努力すると、忘れられない」「幸福になろうと努力すると、幸福になれない」「良い子に育てようと努力すると、良い子に育たない」。反論理、反努力、老人力の世界だ


 赤瀬川氏の言う「反努力」を定義するのは難しいが、以下の引用文を読むと、なんとなくわかる。

 

 経験上、つぎのことに、私は納得する

  眠ろうと努力すると、眠れない

  忘れようと努力すると、忘れられない

 

 私の勝手な解釈だが、この原理は多くのところで当てはまる

  幸福になろうと努力すると、幸福になれない

  良い子に育てようと努力すると、良い子に育たない

 

 これは、まさに「経験上、納得できる」ことであり、論理的に考えてもこの結論には達しない。これに赤瀬川氏が名前をつけると、「反論理」となるのだろうか。

 

 いずれにせよ、赤瀬川氏は、これらをひっくるめて「老人力」とよんでいるのだろう。

 

===== 引用はじめ

 もう一度眠ることを考えよう。寝床の中で眠れない。そこで眠ろうと努力するとますます眠れなくなる。そこで努力を反努力に切り換える。つまり努力を目標から外して別の方に迂回するのである。つまり当の目標をとりあえず放置することでその努力が実り、その結果、疲れて眠くなる。

 忘れるのもそうだ。忘れようという努力を反努力に切り換えることで、忘れることが可能となる。

===== 引用おわり

 

 前回は、

(K1619) 反努力が、老人力の実体ではないのか / 「 老人力 」(24)

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/10/K1619.html

 

<出典>

赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.143



0 件のコメント:

コメントを投稿