【 読書 ・ 老人力 】 「眠ろうと努力すると、眠れない」「忘れようと努力すると、忘れられない」「幸福になろうと努力すると、幸福になれない」「良い子に育てようと努力すると、良い子に育たない」。反論理、反努力、老人力の世界だ
赤瀬川氏の言う「反努力」を定義するのは難しいが、以下の引用文を読むと、なんとなくわかる。
経験上、つぎのことに、私は納得する
・
眠ろうと努力すると、眠れない
・
忘れようと努力すると、忘れられない
私の勝手な解釈だが、この原理は多くのところで当てはまる
・
幸福になろうと努力すると、幸福になれない
・
良い子に育てようと努力すると、良い子に育たない
これは、まさに「経験上、納得できる」ことであり、論理的に考えてもこの結論には達しない。これに赤瀬川氏が名前をつけると、「反論理」となるのだろうか。
いずれにせよ、赤瀬川氏は、これらをひっくるめて「老人力」とよんでいるのだろう。
===== 引用はじめ
もう一度眠ることを考えよう。寝床の中で眠れない。そこで眠ろうと努力するとますます眠れなくなる。そこで努力を反努力に切り換える。つまり努力を目標から外して別の方に迂回するのである。つまり当の目標をとりあえず放置することでその努力が実り、その結果、疲れて眠くなる。
忘れるのもそうだ。忘れようという努力を反努力に切り換えることで、忘れることが可能となる。
===== 引用おわり
前回は、
(K1619) 反努力が、老人力の実体ではないのか / 「 老人力 」(24)
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/10/K1619.html
<出典>
赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.143
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