兵庫県明石市の老人ホームでの孤独死の話です。この話題に触れたシリーズ(K0771,3,5,7)を終えたつもりだったが、気になるので追加します。
亡くなった人は、どのような方だったのでしょうか。合っているかどうかは分かりませんが、私にはイメージがあります。
以前に老人ホームで次のような話を聞いたことがあります。
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夫婦で入所される方もいますが、やがてどちらかが先に亡くなります。残った方の悲しみは、男性であれ女性であれ深いものです。ただ、その後に男女差があります。
女性は、深い悲しみに沈むのですが、早い・遅いはありますが、元気を取り戻していく方が多いです。中には、御主人が存命中よりむしろ明るくなり、活発に動き始める人が少なからずいます。鎖から解き放されたという感じです。
男性は、深い悲しみに沈み、その後もずっと沈んだままの人が多いです。中には「消えてしまう」人がいます。別の言葉で言うと「存在感」がなくなるのです。目の前に確かに居るのだけれど、でも、存在していないのです。
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憶測ですが、明石の老人ホームで亡くなった方は、このタイプではないでしょうか。奥さんと一緒に入所し、奥さんが先立たれています。
今回は、孤独死に気づかなかった老人ホームが責められていますが、職員の方も忙しいのです。一般的に孤独死する前に気づくとき、入居者が先に気づくことも多いのではないでしょうか。
「そういえば、あの人、最近見かけないね」という入居者の話を聞いて職員が見に行ったら、弱って倒れていたとか、既に死んでいたとか。今回は、入居者にも気づかれなかったということになります。
「存在感」がなかったのではないでしょうか。そこに居ても周りの人は居ると認識しない。そのような人が本当に居なくなっても、そもそも最初から「居なかった」のだから、「居なくなった」ことに気づかないのです。
「存在感がない」の反対語は、「存在感がある」「生き生きしている」「キラキラしている」「やる気がある」「お元気だ」「活発だ」「エネルギッシュ(エネルギーを感じる)」などでしょうか。
続く
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