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終わりがあるのは、残念だ。終わりがないのは、残酷だ。終わりとは、ある種の解放だ。生きている間に色々あった。楽しいこと、苦しいこと、悲しいこと、いろいろあった。その中に、取り戻せない悔いもある
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「死とは、祝福である」。これは、あくまで頭の中で考えたことである。私がまさに死なんとするとき、それでも「死とは、祝福である」と言っているかは、疑問である。「死ぬのは嫌だ」とあがいているような気がする。それでも、死とは祝福なのである。
大学時代に読んだギリシャ神話が私の死生観を決定づけた。正確でないと思うが、こんな話だった。
ある男は、死ぬのは嫌だと思い、神様に永遠の命をくださいとお願いしたが、神様は「お前は、人間だから駄目だ」と言った。それでも、男は食い下がり、神様も根負けし、ある約束のもと、不死の命を与えた。ここで男は、重大なミスを犯していた。
男は不死をもらったが、不老をもらわなかった。やがて男は老い、立てなくなり、体はミイラのようになって、体を動かせなくなった。やがて、目が見えなくなり、音も聞こえなくなった。全くの孤独である。それでも死なない。何もできないし、誰とも関われないが、それでも死なない。
そこで男は、神様に殺してくれと頼んだが、神様は聞き届けてくれなかった。不治の命をもらったときの約束は、絶対に不死の希望を撤回しないということだった。
それでも男は殺してくれと頼み、それでも神様は聞き届けてくれなかった。このようにして何千年という年月が流れ、ついに神様も男が可哀想になり、男の希望を聞き届けることにした。
男はそれを聞き、この上ない幸せな気持ちで、死んでいった。
<出典>
ギリシャ神話だったと思うが、わからない
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