2019年1月3日木曜日

(K0613) 「死ぬとき幸福な人」 <臨死期>

 
 先ずお断りしておきますが、原著は読まず、書評のみを読んで書いています。なるほど、と書評を読んで思いました。
 

===== 引用はじめ
 小澤医師は「人は、人生を終える最後の瞬間まで、輝くことができる」といいます。
 人生の最終段階で「自分にとって本当に大切なものに気づく人」「このために生まれてきたのだと思い至る人」「生まれ変わったらこうしたいと希望を抱く人」…。
 在宅医療を受ける中で、それぞれの患者さんが自分にとっての本当の幸せに気づいていく。そんな穏やかな最期を小澤医師は何度も見てきたそうです。
===== 引用おわり
 

 二つのポイントがあると思います。
 
 第一に、「死ぬとき幸福な人」と「(死を意識しないときに)幸福な人」とは、別だということです。死を意識しないときに追い求めた幸福は、死ぬときには関係ないでしょう。お金持ちになっていても、社会的に成功を収めていても、まさに死なんとするときの幸福には、何の役にも立ちません。
 「死ぬとき幸福」をどれだけ重視するかは個人の価値観の問題で、他の方がどういう価値観を持っているかに私は興味がありません。でも、自分の価値観には、興味があります。「その人の人生の中には、辛い事や悲しいこともたくさんあるだろう。その過程はどうであれ、その人が死ぬとき『私の人生は幸福だった』と思ったなら、その人の人生は幸福だったといえる」という説があります。私は賛成です。だから、私は、幸福だと思いながら死にたいと思っています。
 
 第二に、「死ぬとき幸福な人」にどうすればなれるかです。小澤医師は3つの例を挙げていますが、私は、一つだと思うのです。幸福な自分の人生を、思い浮かべられることが必須だと思います。
 私の意識と直接関係のないところで、私の幸福は決まりません。
 「お金持ちになった」「社会的に成功した」ことを幸福に感じるとき、その人は幸福になることはあります。しかし、それらはあの世までもっていけないので、人生を終える最期の瞬間には役立たないのです。
 そういう「○○があるから幸福」という、○○があるから幸福なのではなく、我々の意識の中に幸福があるのではないでしょうか。自分自身の人生に肯定的に向かい合えることが大切だと思います。例に挙げられた、「気づく」「思い至る」「希望を抱く」は、すべて心の中で起こったことであり、われわれの外にあるモノではありません。
 

<出典>
書評。産経新聞(2018/12/1)
「死ぬとき幸福な人」に共通する7つのこと(小澤竹俊)(アスコム)

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