2019年3月23日土曜日

(K0688) 「人工透析」中止問題 / 最期の選択(4) <臨死期>

 
 最期の決め方は、本当に難しい。
 

===== 引用はじめ
 医師が腎臓患者の女性(44)に対して人工透析治療を止める選択肢を示し、透析治療を選んだ女性が1週間後に死亡したことが、大きな問題になっています。
===== 引用おわり
どんな最期を迎えたいか、高見国生の認知症と歩む、産経新聞(2019/03/21)
 

 これに対して、
本当に医者が死なせたのか?「人工透析中止」問題で続く“偽善報道”への大いなる疑問
という記事の一部を添付する。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20190320-00118973/
 

 賛否両論あるが、「ほとんどのメディアが、ともかく命はなによりも大切、医者は患者の命をどうしても助けるべきだという思いにとらわれすぎているからだ。もっと、「死」という現実を直視し、医療とはなにかと真剣に考えなければならない」という考えを是とするか否とするかが大きな分かれ道になっているようである。


上記投稿では、

===== 引用はじめ
 「舞台は、東京都・公立福生病院。ここで、昨年、人工透析治療の中止を希望した女性患者(44)が死亡したことが問題の発端だが、その患者さんは死の前日、透析再開を希望したという。しかし、透析中止(見合わせる)に際しては、すでに意思確認書を書いていて、夫もその意思に同意していたという。
 となると、再開を希望した死の直前の状態がどうだったかは別として、中止の意思は明確だったと考えざるをえない。透析の中止は、即「死」を意味する。それをわからずにサインする人間はいない。
 したがって、この患者さんは「死にたい」と願ったと思うほかない。その願いを、医療側は透析の中止で叶えたのだから、このどこに問題があるのだろうか?
===== 引用おわり
と主張している。
 

 それに対する反論としては、

  僕は透析中止を患者に提案する病院や医者がいること自体が衝撃だったが、それを擁護する医療関係者が何人もいることがさらなる衝撃だった。これはつまり、「患者が望めば死なせてもいい」と考える医療関係者が世の中の人が思っている以上に多い、ということだ。

  報道によると、「シャントにトラブルがあり、医者は『首周辺にシャントを作るか、透析中止するか』の選択を迫った」という。

  もちろん後期高齢者や末期癌など、他の重篤な病気のために身体が衰弱して、日常生活もままならず死を待つだけの患者に対しては、透析中止のオプションもあり得るだろう。しかし、今回の女性患者はまだ44歳だ。透析さえすれば、普通に生きていける。それなのに透析中止を提案し、それが正義であると主張する。この医師たちは、やはり倫理観が狂っているのではないか。

  昔、作家の団鬼六さんが腎不全になった時、潔く死のうと思って透析拒否をしたが、あまりに苦しいので、やはり透析することにしたという。それくらい、透析中止は苦しいのだ。高須クリニックの高須院長が「あの女性の最後は、地獄の苦しみだったと思う」という趣旨のツイートをしているが、本当にそうだと思う。

出典:
透析患者の僕だから言える「透析中止事件」の罪
https://diamond.jp/articles/-/196794?page=4

 
 そう簡単に答を出せる問題ではない。

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