2019年3月23日土曜日

(K0689) 「人工透析」中止問題(2) / 最期の選択(5) <臨死期>

 気になるので、もう少し書いておきます。
 

 ポイントは二つあると思う。

(1)  「死にかかわる選択肢を医者が示し、患者が説明を受けて判断し、医者が患者の決定した意思を尊重して治療する」という考え方がよいかどうか。尊厳死を認めるか認めないか

(2)  手続きは、適切だったか
 

 尊厳死を認めるという人と尊厳死を認めないという人とが議論すると、これはほとんど平行線になって先に進めない。私からは、キリスト教徒とイスラム教徒が、互いに自分の宗教に改宗しなさいと言っているように見える。
 
===== 引用はじめ
Q:【尊厳死と安楽死】尊厳死とは安楽死とどう違うのですか。

A:尊厳死は、延命措置を断わって自然死を迎えることです。これに対し、安楽死は、医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早めることです。どちらも「不治で末期」「本人の意思による」という共通項はありますが、「命を積極的に断つ行為」の有無が決定的に違います。協会は安楽死を認めていません。
 わが国では、いわゆる安楽死は犯罪(違法行為)です。ただ一定の要件を備えれば違法性を阻却できるという司法判断は出ています。山内事件の名古屋高裁判決(1962年)の安楽死6要件や東海大付属病院事件の横浜地裁判決(1995年)の4要件です。しかし、日本社会には安楽死を認める素地はないと言ってよいでしょう。
===== 引用おわり
http://www.songenshi-kyokai.com/question_and_answer.html
 

 「尊厳死はよいが、安楽死はだめだ」というのが、今の日本のおおまかなコンセンサスかなと思っている。

 批判派は、根っこに「尊厳死もいけない」があるように感じる。「非常に厳格な条件付きで尊厳死もいい」と言っても、条件を厳格にすると、実質「尊厳死もいけない」と同じになる。
 一方、擁護派は、「患者の尊厳死を選ぶ権利」「<患者の尊厳死を選ぶ権利>を尊重する医者の義務」を守ろうとしているように思える。


 手続き的には、かなり慎重に進めているようだ。
 
===== 引用はじめ
 女性は昨年8月9日、受診していた医療機関の紹介で同病院を訪問。腕からの透析を継続できない状態で、外科医は(1)首から透析を受ける新たな方法(2)透析中止-の二択を示した。女性は透析中止を選び、16日に死亡した。
 女性が中止に同意して署名した文書には、中止に伴う死亡リスクが記されており、女性の夫や複数の病院関係者が立ち会っていた。
===== 引用おわり
透析中止 院長ら積極提示、産経新聞(2019/03/13) 一つ目の添付表は、この紙面より。
https://www.sankei.com/affairs/news/190312/afr1903120032-n1.html
 

===== 引用はじめ
 同病院は8日、「家族を含めた話し合いが行われ、記録も残されている。密室で独断専行した事実はない。悪意や手抜き医療過誤もない」などとするコメントを発表した。
===== 引用おわり
透析せず 20人死亡か、産経新聞(2019/03/09)  二つ目の添付表は、この紙面より。
https://www.sankei.com/affairs/news/190308/afr1903080033-n1.html
 

 「死亡前には一時、撤回意向と受け取れる発言をしていたことが9日、関係者への取材で分かった。この意向は病院側にも伝わっていた」とのことだが、
 
===== 引用はじめ
 関係者によると、女性の症状が重くなった後、担当医は、透析を再開するか、苦しさを和らげるかの選択肢を示し、女性は苦しさを和らげる方を選び、透析は再開されなかった。
===== 引用おわり
透析中止 死亡前に撤回意向  産経新聞(2019/03/09)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190309-00000017-kyodonews-soci
 


 病院側の言い分が正しいとするなら、少なくとも形式的には、問題がないように思う。
 
 ただ、選択肢の提示の仕方(例えば、透析しながら生き延びられるチャンスが十分あることを分かるように説明したか、透析中止後の苦しみを伝えたか、透析を再開しかつ苦しさを和らげる方法はなかったのか)、また、「透析治療のため同病院を訪れた腎臓病患者149人のうち、20人前後が担当医と相談した上で透析治療を行わなかった」(おそらくこの病院が突出して多い)など、気になる点はある。

 この先は、医学的知識が必要なので、この検討は、ここまでにしておく。


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