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現役時代は「家族を養わなければならない」意識があった。退職を過ぎたら、「家族に養ってもらわなければそれでいい」とハードルが低くなった。自分の時間を拘束されても、何に拘束されるかを選べるなら、楽しい
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タイトルが気に入りました。「老いてこその自己中心」。そうだ。その通りです。
「おおむね、元気な高齢者は、みな好き勝手に、悠々自適な年金暮らしを送っていると、世間の目には映っているらしい。」 ―― そのような気がします。それで元気がなくなってお荷物扱いされるのは、いかにも寂しい。
===== 引用はじめ
ほんとうは声を大にして弁明したかった。
「あのね、ばあばは、勝手をしているみたいだけど、老いてやっと究極の自己中心を生きる権利を手に入れたところなの。これ、やっとのことだったんだから」と。
にもかかわらず、7歳にしみじみした口調で言われてしまった。
「ばあばってさ、いいよねえ、いつも人形劇だけやっていればいいんだから」
「そうじゃないのっ! 毎日、仕事もしているのっ、ばあばは、低年金受給者なの、働かなきゃ暮らせないの」と言いたいけれど、「そうね、ほんと好きなことばっかりだねえ」とにっこり笑って応じてきた。
===== 引用おわり
「なんだかもう、自分だけが好き勝手に生きているみたいな後ろめたい気分になって戻ってきた。」などとは思わず、居直って、自己中心で生きてもよさそうな気もするが、元気がなくなってからのことを考えると、躊躇してしまいます。
笑ってごまかしながら、少しは遠慮しながらも、それでも自己中心を貫く。そうしておかないと、この世にサヨナラするとき心残りがありそうです。
<出典>
家族がいてもいなくても(626)老いてこその自己中心
【ゆうゆうLife】 産経新聞(2020/02/07)
https://www.sankei.com/life/news/200207/lif2002070007-n1.html
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