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せめて死ぬときぐらいは「きれいな死に方」をと思っていたが、見苦しく死んで行ってもいいのじゃないか。「人は、生きてきたように死んでいく」。生きてきたのとは違う死に方はできない。どのように生きるか、だけ
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・ 自分が「きれいな死に方」をしたければ、それを目指して生きればよい
・ 他人に「きれいな死に方」をせよと勧めるのは、余計なお世話だ
・ 自分自身に「きれいな死に方」を求めるのも、いかがなものか
「人は、生きてきたように死んでいく」。人生の最後に「きれいな生き方」に修正しなさいといわれてもきっと心に響かないだろう。
親族と縁を切り独り暮らししている女性。残り時間はあまり長いとは思えないと判断し、「ご親族に会われた方がいい」と熱心に説得する看護師への、尾崎さんの言葉。
===== 引用はじめ
なんで? なんで説得するの? 会わないって言っているんでしょ?
「人は、生きてきたように死んでいく」んだよ。意固地になって生きてきた人は意固地に死んでいく。人を思いやって生きてきた人は人を思いやりながら死んでいく。
「会わない、会えない」って決めて生きてきた人が「会わない、会えない」ってまま死んでいってもいいじゃない。「会わない、会えない」人をそのままで支援したらいいじゃない。
===== 引用おわり
<出典>
尾崎容子、「オンリーワンの人生 大切に」
【在宅善哉】 産経新聞(2020/02/08)
添付図は、以下より
https://lineblog.me/kengokobayashi0531/archives/1825789.html
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