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霊的な能力のある人には分かるのかもしれないが、霊的な能力のない私には死後のことは分からない。しかし、この世で一生懸命頑張っても報われないことはあるが、あの世で報われると考えると、楽になる。それでよい
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太陽と月と四季。
太陽 ~ 1日 ~ 日の出、昼、日の入、夜、
月 ~ 1月 ~ 新月、繊月、三日月、上弦の月、…満月、…、下弦の月、有明月、…
四季 ~ 1年 ~ 春、夏、秋、冬、…
自然は巡り、元に戻り、同じくり返しを延々と続ける。
ここから、輪廻、転生、という発想が出てきたのだろうか。
東洋は円、西洋は線と聞いたことがある。
西洋は、まっすぐ進み、では、終わりがあるのかと言うと、最後の審判(終末論的世界観であり、世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰)(*)に辿り着く。東洋の輪廻(命あるものが何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わる)(*)は、延々と続く。ただし、解脱(煩悩に縛られていることから解放され、迷いの世界、輪廻などの苦を脱して自由の境地に到達する)(*)すると、二度と再生を繰り返さない。
直線はまっすぐ横に進むのではなく、高みに向かうと考えると進化(生物は不変のものではなく、共通祖先から長大な年月の間に次第に変化して現生の複雑で多様な生物が生じた)(*)になる。
円が同じところをぐるぐる回るのではなく。高みに向かうと考えると、リインカーネーション(人間は生まれ変わりを通して成長する・人間には魂や霊といった不死なる根源があると考え、転生を繰り返すことで、進化し、最終的に神に近い完全な存在になる)(*)になる。形でいうと、螺旋である。
(*)は、Wikipediaより
霊的な能力のある人には分かるのかもしれないが、霊的な能力のない私には死後のことは分からない。しかし、この世で一生懸命頑張っても報われないことはあるが、あの世で報われると考えると、楽になる。楽になるなら、そう考えてもよいのではないか。いくら考えても分からないなら、自分で良いと思うところで、考えを止めてもよいのではないか。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(方丈記)
===== 引用はじめ
「咲く花の姿は変らねど、今年の花は去年の花にはあらず」
と、考えることもできはしないか。人は老い、逝く。そして再び春に咲く、という感覚を一度どこかで点検してみなくてはならないのではあるまいか。
===== 引用おわり
五木寛之、「新老人の思想」、P.199
添付写真は、
http://www.artmuseum.jpn.org/mu_saigonosinpan.html
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