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「何事にも常に全力投球する。思い通りにならなかった人生だからこそそれが自身を成長させてくれた。生まれ変わっても私はIKKOでいたい」(IKKO)。「私は毎朝目が覚めると生まれ変わっているの」(BB)
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https://meigen.keiziban-jp.com/reincarnation
BB = ブリジット・バルドー
その昔、生まれ変わるのは良いことだと思っていたら、「生まれ変わらなくなるのが良い」と仏教では言っている(←仏教の表現として正しいかしどうか分かりません)と聞いて、驚きました。
この世では結婚できなかったが来世では結婚できるとか、この世では中途半端で終わって心残りだったが来世では仕上げられるとか、この世では失敗したが来世では成功するとか、この楽しい人生が死で中断されるが来世ではその続きが楽しめるとか、楽観的といおうか、こう考えると、来世がある方が良いと思う。
でも、生きていくのが辛くて辛くてたまらなかった人は、来世が無くて、死で終わってくれるのがよいのかもしれない。辛さから解放されるのが、救いとなる。
そもそも、来世は本当にあるのかというと、これもよく分からない。来世があればあるでよいが、本当は無くて、死ねば全てが無くなるのかもしれず、それはそれで良いのではないかとも思う。
来世があるかどうか分からないという状態で、この世をどう生きたら良いのか。意外に、難しくない。「出来る限り善いことをする」が答となる。
出来る限り善いことをしておけば、死ぬときは「やれることは全部やった」と安心して死ね、それで来世が無ければ無いで、そこで終わっても構わない。一方、来世があった場合は、この世でいっぱい良いことをしたのだから、きっと報われて来世で幸せな人生を暮らせる。
来世があってもなくても、どちらでも構わない。今を、必死に生きればよいのだ。
===== 引用はじめ
古代インドではバラモン思想の土台として輪廻が常識だった。しかし、その生死転生は、必ずしも幸福に結びついていない。なにか底なしの虚空をかいま見るような不気味さが感じられ、人びとはやがて輪廻を「業」のもたらす苦しみとして恐れを感じるようになっていく。
ゆがて、この輪廻の思想に真向から反旗をひるがえす人びとが現れてくる。「輪廻」を「苦」としてとらえ、その重い鎖を断つことをゴウタマ・ブッダもめざした。
===== 引用おわり
五木寛之、「新老人の思想」、P.199
添付は、生まれ変わる 名言集・ 格言
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