2020年9月12日土曜日

(K1231)  延命治療は「悪」なのか? <臨死期>



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延命治療で苦痛があっても、それでも生きたい・生かせたいという気持ちが強ければ、延命治療は「善」だと思う。生きたい・気持ちの強さも、延命によって受ける苦痛も変化する。延命治療自体は、悪でも善でもない
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 Facebook友達の「株式会社ビーザム」さんの記事(9/9)より
(中村仁一医師著作より)

 「人間はやすらかに死ぬことができるようになっている」そうです。
  この時期ものを食べなくなると、脳内にホルモン様物質が分泌され、気持ちよくなり幸せムードになる。
  また水も飲まなくなるので、血液が濃く煮詰まり、意識レベルが下がる。ぼんやりした状態になるが、当人には苦痛はない。
  死に際になると酸欠状態になり、炭酸ガスが体内にたまる。これが麻酔作用を起こして身体を死の苦しみから解放してくれる、人間はやすらかに死ぬことができるようになっている。

 こういう話を聞くと、気分が少し楽になります。

 この延長線上で、「現代医療は「死」をまったく考えていない。延命治療は死を少しばかり先送りすることはできるが、その代わり当人に苦痛を与え、人間としての尊厳さえ奪うものであると」という批判があります。


 ただ、その一方、本人には「少しでも長く生きたい」、家族には「少しでも長く生きてほしい」という気持ちもあり、これも無視できないでしょう。その気持ちが強いときには、延命治療も「善」ではないでしょう。延命治療を一方的に「悪」と決めつける風潮があるように感じます。

 延命治療で苦痛があっても、それでも生きたい、生かせたいという気持ちが強ければ、延命治療は「善」だと思います。生きたい・気持ちの強さも、延命によって受ける苦痛も変化します。

 概ね、強さ関係は、次のように変化するのではないでしょうか

(1)  生きたい・生かせたいという気持ち > 苦痛が耐えがたいという気持ち
    このとき、延命治療は「善」
(2)  生きたい・生かせたいという気持ち ≒ 苦痛が耐えがたいという気持ち
    このとき、どうすればよいか、悩む
    ここで、悩むことは生きていることであり、
    この悩みを避けるべきではない(避けることはできない)
(3)  生きたい・生かせたいという気持ち < 苦痛が耐えがたいという気持ち
    このとき、延命治療は「悪」

 つまり、延命治療自体には善悪はないと思います。
 それを適切に選べる状態は善、適切に選べない状態は悪だと思います。

<出典>
こころ覚えの記202 「自然死のすすめ」(中村仁一医師著作より)


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