2020年9月29日火曜日

(K1248)  意味付けして初めて意味が現れる / 「生命はみな平等」(2) <臨死期>

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意味がどこかにあるかというと、どこにもない。意味付けをして、はじめて意味が存在するようになる。人間はただ生まれて死ぬだけで、意味はない。周囲の環境との関わりにおいて、「意味付けをすること」はできる

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 ===== 引用はじめ

 人間は、精子と卵が受精し着床、出生から成長、老い、死に至ります。これは単なる生命の発生から終末にいたる道筋です。この道筋には「意味」などないでしょう。植物でいえば、例えば桜の種が地に落ち、芽吹き、成長し、花をつけ、老木となりやがて枯れます。人間と同様、この道筋に「意味」はありません。

 ただ、この桜の老木の周りでは毎年華やかな花見の祭りが行われ、この町の出身の人がふるさとを思うときにはこの桜の木が目に浮かぶ、ということであれば、この桜の木の存在は「町のシンボル」という意味付けがなされるでしょう。しかし、桜はそうしたことを目指して、毎年生命の花を咲かせているわけではありません。

 人間としての生命の営みも同様です。人間も桜と同様、ただ生まれてきて死ぬだけなのです。それに意味はありませんが、その人間とその人間がおかれている周囲の環境との関わりにおいて、人生に「意味付けをすること」はできます。

===== 引用おわり

 続く。

 

<出典>

難病患い生きる人生の意味付けと医師としての思い

2020.8.14 14:00プレミアム

https://www.sankei.com/premium/news/200814/prm2008140001-n1.html



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