忘れようとして忘れられないことがある。覚えようとするものは忘れがちなものだが、忘れようとするものはなかなか忘れられない。人間の頭の中は必ずしも都合良くは出来ていないようで、いったいどうなっているのか。
…
… 覚えるのだったら、 … 無理矢理にでも努力によって覚えることができる。でもそうやっていったん記憶となったものは、努力によって忘れることはできない。
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忘れたいのに、自分の力では忘れられない、というこの関係を考え過ぎると、ノイローゼになりやすい。頭の奥が苛々してくる。だからこれは真面目に考えてはいけない。こういった自家撞着の関係に幽閉されて帰らぬ人となったのは大勢いる。
だから考えないのがいちばんである。「いつかは……」ということで放っておけば、そのいつかはの地平の彼方から、忘れ物の援軍がやってくる。ふらふらと、よぼよぼと、心地よい忘却の小波を立てながらやってくるのは、いわずと知れた老人力だ。
このようにして忘却願望は、必ず時が解決してくれる。
前回は、
(K1480) 力を抜くというのは、力をつけるよりも難しい / 「老人力」(4) <仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/05/k1480-4.html7
<出典>
赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.23 , P.26 – P.27
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