【 読書 ・ 老人力 】人間はいつでも趣味や遊びを持っている。原始時代からそうだろう。人間はいつだって趣味を持っているんだけど、それが蓋をされて押さえられていることがある。その蓋が、近代においては思想だった
人間は趣味を持っているのだが、思想によって蓋をされ、押さえつけられている。歳をとると趣味が出てくる、趣味に向かうようになる。
===== 引用はじめ
人間はいつでも趣味や遊びを持っている。原始時代からそうだろう。
動物にだってあるんだから。猫は紐にじゃれるし、犬はボールに飛びついてくわえて飛んでくる。何の腹の足しにもならないのに。
まして人間はいつだって趣味を持っているんだけど、それが蓋をされて押さえられていることがある。その蓋が、近代においては思想だった。
少くとも近代のぼくの内部を観察するに、思想に蓋をされて、趣味はちょっと縮こまっていた、身を引いていた、ということがあるのである。
といって別に大した思想を持っていたわけではない。考え方の形としてそうだったということ。
先にもいったが、それは時代でもあり、年齢によることでもある。
歳をとると趣味が出てくる、趣味に向かうようになる、というのは一般的にそうだろう。現役引退という物理条件もあるし、もう一つ、その人の内部的問題も大きい。
===== 引用おわり
ここで「思想」とは、「思想の信仰」であり、具体的には「革命信仰」「共産主義信仰」「科学信仰」である。ソ連崩壊以前には「思想が偉い。感覚よりも頭の方が偉い」と思っていた。ところが、ソ連が崩壊し、オゾンホールが出現し、思想が弱まった。
著者が「趣味が蓋をさけて」と思ったのは、「それは時代でもあり」もあが、それと同時に「年齢による」。そして「歳をとると趣味が出てくる、趣味に向かうようになる」
なぜ、歳をとるとそうなるかは、次回。
前回は、
(K1571)
趣味とどう向き合うか / 老人力(17)
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/08/K1571.html
<出典>
赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.107
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