【生身魂・ お盆 】生身魂とは、お盆に一家の存命の長老を御魂(死んだら御霊)として敬い奉るという風習があるらしい。俳句の秋の季語。「生身魂になったら祖先の霊や亡くなった知友と交流できて、世界が広くなる気がする」
お盆が過ぎてしまっていてタイミングが悪いが、生身魂(いきみたま)について。
俳句の季語になっているらしい。
===== 引用はじめ
生身魂とは、お盆に一家の存命の長老を御魂(死んだら御霊)として敬い奉るという風習があるらしい。つまり「我が家の最長老」
知っている人は少ないのでは?ましてウチでは、毎年やっているという家も少ないはず。
===== 引用おわり
http://blog.livedoor.jp/mxt336/archives/51951319.html
「秋の季語『生身魂(いきみたま)』は老人を揶揄する句が多かった」とのこと。
以下は、最近の新聞記事から。
===== 引用はじめ
大学生の孫に尋ねた。「生身魂(いきみたま)」という言葉を知ってるか、と。「それ、生霊(いきりょう)?
取りついてたたるよ」と孫。
いや、生霊ではない。生御魂とも字を当てるよ。つまりまだ生きている人だよ、と説明したら、孫は、「うん?
もしかしたら、じ―じみたいな老人? あの世に近い人を生身魂と呼ぶのかな?」と応じた。
あの世に近いは事実だが、今は余計な言い方だ。
===== 引用おわり
===== 引用はじめ
「生身魂七十と申し達者なり」(正岡子規)、「古里に二人そろひて生身魂」(阿波野青畝)。子規は明治、青畝は昭和の俳人だが、彼らは生身魂に親しんでいたことが分かる。
お盆には戻ってきた先祖の霊に供え物をするが、それと同じく、元気でまだ生きている霊、すなわち生身魂にもご馳走をふるまったり贈り物をしたらしい。子規の旬によると、七十歳はもう立派に生身魂のようだから、私などは正真正銘の生身魂だ。
===== 引用おわり
どうやら私も生身魂になる資格はあるようだ。
「生身」と「魂」の中間にある存在として、「生身」から「魂」を思うきっかけになるのではないか。
===== 引用はじめ
実は私は、つい先年まで、生身魂という言葉が嫌いだった。少なくとも六十代の私はこの言葉に反発していた。生身魂と呼ばれると、もはやこの世に用のない人みたい。生身魂にはなりたくない、と思ってきた。
ところが、七十代になって、生身魂になるのはいいかも、と思うようになった。生身魂になったら祖先の霊や亡くなった知友と交流できて、世界が広くなる気がする。
===== 引用おわり
<出典>
坪内捻典、生身魂
【モーロク満開】 産経新聞(2021/08/15)
0 件のコメント:
コメントを投稿