【 深いかかわり ・ 嫌がる 】 「弱りや死を受け入れるのは難しいもの。それは特別なことではありません。この方が独特なのは、自分が受け止きれないことをあちこちに触れ回ることでした」。体の衰え、介護、死を受け入れずに生きる
私自身は、歳をとるにしたがい、体が衰えること、誰かの世話になること、そして最後に死ぬことを受け入れていきたいと思っている。自分の努力でなんとかできることは頑張るが、自分の努力ではなんともできないことは、受け入れるしかない。受け入れることにより、心の安定を得られ、その安定した心で、できることに集中したいからだ。それが自分にとって、幸せな生き方だと思っている。でも、世の中には全く逆の生き方をしている人もいるようだ。
「ご自身の死についても、ご自身が衰えていくことにもまったく受け入れなどできない状態でした」「人の手を借りることが極端に難しい方でした」
では、その人は暗い毎日を送っているか、というとそうでもない。「明るくひょうきんな方で、お友達も多そうに思うのですが、お友達が関わっている様子はなく、支援者は市内に住むご親戚だけでした」。
どうしたら、そのようなことができるのか。「弱りや死を受け入れるのは難しいもの。それは特別なことではありません。この方が独特なのは、自分が受け止きれないことをあちこちに触れ回ることでした」
「努力してもなんともできないことは受け入れる」ということが努力してもできないので、そのできない自分を受け入れているのだろう。そんな受け入れ方も「あり」なのだ。
受け入れなければいけない」と頭で考えても、できないこともある。それでも受け入れようとすると、苦しいばかりになる。
===== 引用はじめ
そんな風に自分の抱えきれない気持ちを他人に言うものの、その投げかけに対しての真剣な返しを嫌がり、深くかかわられることを極端に嫌がる方でした。管理人さんも「アタシもう死ぬねんて!」と言われたことから、「お元気そうだけれど」と心配されるのですが、いざ何か助けはないかと管理人さんが声掛けをすると支援は拒否されるのでした。愛想よく、元気に明るくお話はされるのですが、深くかかわられることは嫌なのでした。
===== 引用おわり
<出典>
深くかかわられることを嫌がる
【尾崎容子 在宅善哉】 産経新聞(2021/09/11)
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