2021年9月30日木曜日

(K1614) 「眠る」「忘れる」は努力ではできない / 「 老人力 」(23)

 【 読書 ・ 老人力 】眠ろうと努力すればするほど眠りがこじれて、目が冴えてくる。忘却力もそうだ。忘れようと努力すると、ますます忘れられない。「テキトー」であることがぼくらを眠らしてくれて、物忘れを実現してくれる


 会社で仕事をしていたときに、ストレスチェックを受けたが、結果は「ストレスなし」だった。「寝られないことがある」への私の回答がNoだったからではないか。

 私は、起きていようとしても寝てしまうことがしばしばだ。覚えていようとしても忘れてしまうのがいつものことだ。この傾向は、最近ますます加速している。このまま行けば、そのまま認知症になってしまうのではないか。

 どうやら「寝る力」「忘却力」は、老人力に関係するらしい。とすれば、私は若い頃から老人力が備わっていて、最近、ますます磨きがかかっているようだ。喜んでよいのか、悲しむべきか。

 

===== 引用はじめ

 眠るというのは時として厄介なことで、問題は、覚醒時の理屈が通じないことである。

 つまり眠ろうと努力したら眠れないのだ。

 眠らない努力なら出来る。会議中など、眠くて眠くてたまらないところを、努力して眠らずにいる。その努力は可能である。

 でも眠る努力は不可能だ。眠ろうと努力すればするほど眠りがこじれて、目が冴えてくる。

 前に忘れることでも書いたが、忘却力もそうだ。忘れようと努力すると、ますます忘れられない。努力して覚えることはできても、努力して忘れることはできないのだ。

 眠ることも忘れることも、努力をもってしては到達できない。でも人間は日々眠り、日日忘れている。これはどうしてだろうか。人生開始以来のすべての現象を全部記憶にとどめて忘れられなかったら、事実上頭はパンクして生きていられない。でもじっさいにはまあテキトーに忘れるので、何とかふつうに生活している。

 ここで重要なのは「テキトー」である。テキトーであることがぼくらを眠らしてくれて、物忘れを実現してくれる。そのテキトーとは何なのか。どう定義すればいいのか。

===== 引用おわり

 

 前回は、

(K1606) 高齢者事業団は働きっぷりが恰好いい / 「 老人力 」(22)

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/09/K1606.html

 

<出典>

赤瀬川原平、「老人力」、筑摩書房、P.140 , 142



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