前回からの続き。「世界一孤独な日本のオジサン」の著者 岡本純子の解説。「文春オンライン」より(第2回)。
【目次】
(1) 孤独な人は、早死リスクが50%高くなる
(2) 日本は世界に冠たる孤独大国になりつつある(3) 「孤独に耐えろ」は「水を飲まずに我慢しろ」と同じくらい残酷
① ポジティブな意味合いの「Solitude」、ネガティブな「Loneliness」
② 人間は本来、「社会的動物」だ
(4) 日本は「ソーシャル・キャピタル」が先進国最低の101位
(5) 「仕事が、生きがいなわけではない」。そう思っていても
【展開】(3)②
(3) 「孤独に耐えろ」は「水を飲まずに我慢しろ」と同じくらい残酷
② 人間は本来、「社会的動物」だ
===== 引用はじめ
人間は本来、自らの生存のために、何より、他者との結びつきを必要とする「社会的動物」だ。敵を倒すために共に戦う。食べ物を共に確保し、分け合う。孤立はすなわち「死」を意味していた。「孤独」は、のどの渇きや空腹、身体的な痛みと同じ脳の回路によって処理され、同等、もしくはそれ以上の苦痛をもたらす。そのつらさを避けようと、水を飲んだり、食べ物を口にするように、孤独な人も「苦痛」から逃れるために、自らつながりを求める。これが人を孤独から遠ざける、本能的なディフェンスメカニズム(防御機能)の基本的な仕組みだ。つまり、孤独な人に「孤独に耐えろ」というのは、水を求める人に「水を飲まずに我慢しろ」というぐらいに残酷なことでもある。しかし、我慢強さが美徳の日本では「孤独」という気持ちにフタをして、それに耐えるべきだという精神論がまかり通っている===== 引用おわり
私の意見
狼のいるようなところで移動しながら狩猟していると、群れから離れると狼に襲われる危険性が増し、まさに「孤立はすなわち死」を意味するが、農耕民族では違うのではないか。そこで、「本能的なディフェンスメカニズム(防御機能)の基本的な仕組み」が違うと思う。
また、人と距離を置くことは「孤独に耐えろ」ということになるのだろうか。「孤独を楽しむ」というのもいいではないか。日本人は、ずっと人の中で暮らし、人を気にしながら生きてきた。それから解放されてもいいのではないか。
もちろん、極端な孤独は有害である。「孤独」か「孤独でないか」の二元論で考えるのではなく、その中間に「ほどよい孤独」があると思う。意に反して孤独になってしまった人に手を差し伸べる必要があるが、「ほどよい孤独を楽しんでいる」人に、「それで本当にいいの?」と問いかけるのは、野暮ではないか。
<出典>
岡本 純子、 http://bunshun.jp/search/author/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%20%E7%B4%94%E5%AD%90なぜ日本のおじさんは「世界一孤独」なのか?
~ 『世界一孤独な日本のオジサン』著者が示す衝撃的データ
http://bunshun.jp/articles/-/6460
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