江戸時代は、「人生50年」
===== 引用はじめ
人生50年。俳人の松尾芭蕉(まつおばしょう、1644-1694)は、享年50歳、大坂で客死しています。本コラムで毎回登場している井原西鶴(いはらさいかく、1642-1693)は「浮世の月見過ごしにけり末二年」と人生50年、自分は余分に2年も生きて、この浮世で月見をしてきたと辞世を残しています。===== 引用おわり
https://thepage.jp/detail/20170110-00000008-wordleaf?pattern=4&utm_expid=90592221-90.XuDNLc76QeGwwGjZsGOLmA.3&utm_referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2Furl%3Fsa%3Dt%26rct%3Dj%26q%3D%26esrc%3Ds%26source%3Dweb%26cd%3D7%26ved%3D0ahUKEwjsh4nLkOzbAhVFi7wKHTETDMsQFghbMAY%26url%3Dhttps%253A%252F%252Fthepage.jp%252Fdetail%252F20170110-00000008-wordleaf%26usg%3DAOvVaw2uDmTUd5KaNO49g-sbsvW5
今や、「人生100年」とも言われている。
===== 引用はじめ
「人生100年時代構想」一億総活躍社会実現、その本丸は人づくり。子供たちの誰もが経済事情にかかわらず夢に向かって頑張ることができる社会。いくつになっても学び直しができ、新しいことにチャレンジできる社会。人生100年時代を見据えた経済社会の在り方を構想していきます。
===== 引用おわり
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/ichiokusoukatsuyaku/jinsei100.html
そうすると、今の50歳は、昔の50歳とは違うということになる。ところが、「周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物」と言われている(*)『礼記』は、不思議なことに今の年齢感にあっている。
(*)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BC%E8%A8%98添付図は、このサイトから転載。
===== 引用はじめ
『人生十年曰幼、學。二十曰弱、冠。三十曰壯、有室。四十曰強、而仕。五十曰艾、服官政。六十曰耆、指使。七十曰老、而傳。八十、九十曰耄、七年曰悼、悼與耄雖有罪、不加刑焉。百年曰期、頤。』(『禮記』曲禮上)
→
人生における最初の十年は「幼」といい、学問をする。
二十年は「弱」といいい、冠を授かる。
三十年を「壮」といい、家庭を築く。
四十年を「強」といい、仕官をする。
五十年を「艾(がい)」といい、官職や政務に就く。
六十年を「耆(し)」といい、人に指図をする。
七十歳を「老」といい、教えを後人に伝える。
八十、九十を「耄(もう)」といい、
七歳未満を「悼(とう)」という。
「耄」「悼」には、たとえ有罪でも刑罰を科してはならない。
百歳を超えると「期」という。大切にしなれればならない。
===== 引用おわり
https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201403290000/
加地伸行(大阪大名誉教授)の解説によれば、
===== 引用はじめ
60歳 現役引退ではなく、人々を指揮する70歳 家長の地位を譲って子に従う
80・90歳 「おいぼれ」。「惛忘」(認知症)
100歳 「養う」。衣服のことも食べるものの味も分からない。
もう何もわかっていない状態で子が養う
===== 引用おわり
加地伸行、「八十の者 一子政に従わず」
【古典個展】産経新聞(2018/06/18)
実に、現代の年齢の感覚に近い。「70歳定年」などは、今の時点でも、将来を先取りしている。まるで、時代を予言しているような、不思議な本である。
続く
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